
1789年に始まったフランス革命は、王政の崩壊と共和制の確立という壮大な変革をもたらしましたが、その裏には思わず笑ってしまう話や驚くべきエピソードも隠されています。マリー・アントワネットの「パンがなければケーキを」発言の真実や、革命期における独特なファッションの流行など、歴史書には載っていないようなエピソードを知れば、革命がもっと身近に感じられるかもしれません。以下で、そんなフランス革命の「裏側」を深掘りしていきます。
フランス革命暦のカレンダー
1793年から1805年まで使用されたフランス革命暦。グレゴリオ暦からの脱却を図り、新たな時代の始まりを象徴する暦である。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
フランス革命では、旧体制を完全に否定するために「革命暦」が導入されました。一年を12か月、それぞれ30日とし、日常の暦からキリスト教的な要素を排除する試みがなされました。しかし、使い勝手の悪さから短期間で廃止されることとなります。
ルイ16世の処刑
1793年、フランス革命中のパリ、ラ・コンコルド広場で行われたルイ16世のギロチンによる処刑を描いた絵画。絶対王政の終焉を告げる象徴的な出来事。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
恐怖政治の時代、ギロチン処刑は一般市民にとって一種の「娯楽」だったといわれています。広場には見物人が集まり、屋台が並ぶことも珍しくありませんでした。もちろん、これが当時の厳しい社会状況を反映していることは言うまでもありません。
マリー・アントワネットの処刑、1793年10月16日
恐怖政治下での処刑が行われたマリー・アントワネットの最後の瞬間を描いた絵画。フランス革命の激動の時期を反映した作品。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
恐怖政治の象徴ともいえるギロチンですが、実は「苦しみを最小限に抑える処刑方法」として考案された道具です。当時の医学博士ジョセフ=イグナス・ギヨタンが提案したもので、「平等な死」を追求した結果だったのです。皮肉なことに、彼の名前は「恐怖」の代名詞として後世に残ることとなりました。
バスティーユ襲撃
フランス革命の始まりを象徴する「バスティーユ牢獄襲撃事件」を描いた絵画
(出典:Creative Commons Public Domainより)
1789年7月14日、パリ市民が襲撃したバスティーユ牢獄ですが、その日、牢獄内にいた囚人はわずか7人だったことをご存じですか? しかもその中には精神疾患を患った人物や文書改ざんの罪で収監された者も含まれていました。
マリーアントワネット/1775年
若き日のマリーアントワネットを描いた肖像画。フランス革命時には、彼女の豪華な生活様式が特権階級の象徴とされた。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
マリー・アントワネットの有名な言葉とされる「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」は、実は彼女が言ったものではない可能性が高いのです。この言葉は哲学者ジャン=ジャック・ルソーの著書に登場する架空の発言だったともいわれています。
フランス革命の主体となったサン・キュロット
サン・キュロットの一員が槍を持つ姿を描いた1793-1794年の作品。フランス革命を背景に、彼らは革命的変革を推進し、社会的平等を訴えた。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
サン=キュロット(膝丈のズボンを着ない人々)は、革命期における庶民の象徴でした。長ズボンを履くことで貴族階級と一線を画し、平等をアピールしていたのです。このスタイルは後に革命家たちの間でトレンドとなり、政治的ファッションの先駆けともいえる現象でした。
以上、フランス革命の雑学と面白裏話についての解説でした!ただの雑学や面白裏話からも、フランス革命はただの政治運動ではなく、日常生活にも深く影響を及ぼしたことがよくわかりますね。以下でフランス革命の雑学・面白裏話系の一問一答をまとめていますので、さらに詳しく知りたいという方は参考にしてみてください。