
フランス革命軍って、よく「義勇軍」という言葉と一緒に語られますが、本当に義勇兵だけで構成されていたのでしょうか? 革命の理想を胸に自発的に集まった市民たちのイメージがありますが、実際のところはどうだったのか──その構成や背景、義勇軍の役割まで教えてください!
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フランス革命軍は、初期こそ義勇軍の存在感が非常に大きい軍隊でしたが、全てが義勇兵というわけではありません。時期によって構成が変わり、やがて徴兵制を取り入れた「国民軍」へと変化していきます。
1792年、フランスはオーストリアやプロイセンなど王政国家との戦争に突入します。この時期、愛国心に燃えた市民たちが各地で自発的に志願し、義勇軍(volontaires)が編成されました。代表的なのがマルセイユ義勇軍で、彼らがパリへ向かう途上で歌った歌が「ラ・マルセイエーズ」として国歌になったのは有名です。こうした義勇軍は地域ごとの寄せ集めで、服装や装備も統一されていませんでしたが、革命の理念を守る強い熱意がありました。
義勇軍だけでは十分な戦力にならなかったため、革命政府は旧王立軍の兵士や職業軍人も戦争に動員しました。これにより、経験豊富な兵士と情熱あふれる義勇兵が同じ部隊に混在する状態が生まれます。最初は統制の面で苦労しましたが、次第に指揮系統や訓練方法が整えられていきました。
1793年には国民皆兵制(ルヴェ・アン・マス)が導入され、18〜25歳の未婚男性が徴兵されるようになります。この時期以降の革命軍は、徴集兵、正規兵、そして志願兵が混ざった大規模軍となりました。義勇軍は革命初期の象徴的存在として戦争の士気を高め、その精神は徴兵された兵士たちにも受け継がれていきます。
マルセイユ義勇軍の出発 1792年
フランス革命軍として活動したマルセイユ義勇軍がパリへ向かうシーンを描いた彫刻。この作品はフランソワ・リュードによりアルク・ドゥ・トリオンフに刻まれており、革命の精神を象徴している。
(出典:Creative Commons CC0 1.0より)
つまりフランス革命軍は、義勇軍だけの軍隊ではなく、志願兵・正規兵・徴兵兵士の混成部隊でした。特に義勇軍は革命初期の象徴的存在として、軍全体の士気と「祖国防衛」の理念を広める役割を果たしたのです。
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