ジャンヌ・ダルクのフランス革命への関与とは?

ジャンヌ・ダルクのフランス革命への関与とは?

ジャンヌ・ダルクは百年戦争期の英雄で、フランス革命の時代にはすでに伝説的存在となっていた。彼女の象徴性は愛国心と民衆の力を体現し、革命期の政治宣伝や国民意識の形成に利用されたのである。本ページでは、フランス革命の象徴操作や歴史的記憶の活用を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

ジャンヌ・ダルクって、百年戦争の英雄としてよく知られていますが、フランス革命の時代からはかなり前の人ですよね? それなのに、革命期のフランスでも彼女の名前がよく出てきたり、革命のシンボルとして扱われたりする場面があると聞きました。いったい、どうしてそんなふうにジャンヌ・ダルクが注目されたのでしょうか? 実際に彼女がフランス革命に関与していたわけじゃないと思いますが、革命とどう関係しているのか、詳しく教えてください!



ジャンヌ・ダルクはフランス革命に“直接”関与したわけではありません。というのも、彼女が生きていたのは15世紀、フランス革命よりも約350年も前の人物ですから。でも、だからといって無関係だったかというと、実はそうでもないんです。


革命期のフランスでジャンヌ・ダルクは、古い王政の象徴ではなく、「フランスの民衆の中から現れ、国の独立のために立ち上がった象徴的存在」として再発見されました。民衆の力で国を守った、というその姿が、新しい時代を作ろうとしていた革命家たちの理想と重なったんですね。


ジャンヌ・ダルクは「民衆のヒロイン」だった

ジャンヌ・ダルクが活躍したのは、フランスがイギリスとの百年戦争で劣勢にあった時期。農民出身の少女が、神の啓示を受けたと信じて王太子を鼓舞し、軍を率いて戦ったという物語は、もともと宗教的・王政的な色合いが強いものでした。


けれど革命期になると、彼女の物語が違った意味で語られ始めます。「貴族や聖職者の力を借りず、自らの信念と行動で国を動かした庶民の力の象徴」としてジャンヌが再評価されたのです。


特に、パリのサン=タントワーヌ地区などでは、彼女を称える演劇が上演されたり、彼女の像が飾られたりと、市民のアイコンとして定着していきました。ジャンヌは「神の子」というより、「市民の娘」として語られるようになったんです。


ランスでのシャルル7世の戴冠式とジャンヌ・ダルク

シャルル7世の戴冠式におけるジャンヌ・ダルク(1412 - 1431)
フランス革命後は彼女が国民意識の源流とも読み替えられ、市民的愛国心を鼓舞する象徴として再評価された

出典: Photo by Jean-Auguste-Dominique Ingres / Wikimedia Commons Public domainより


王政を超えてジャンヌが利用された理由

ここで一つ面白いのは、ジャンヌ・ダルクがかつて命を懸けて守ろうとした王政が、フランス革命によって倒されたという点。でも、それにもかかわらず、彼女が革命の時代に人気だったのは、彼女の「目的」よりも「姿勢」が重視されたからです。


ジャンヌは国の危機に立ち上がり、自分を犠牲にしてでも戦った。革命家たちは、そんな彼女の自己犠牲や勇気、そして民衆の一人としての行動力に注目しました。つまり、「王のために戦った人」というより、「フランスという共同体のために戦った人」として彼女を読み替えたんですね。


また、当時のフランスではナショナリズム(国民意識)が高まりつつありました。ジャンヌ・ダルクは、その象徴としてとても都合のよい存在だったんです。彼女の存在は、外敵に対抗する「フランス人としての誇り」を鼓舞する役割を果たしました。


ジャンヌの物語が再び広まった背景とは?

フランス革命では、新しい社会の価値観を広めるために、過去の歴史や人物が新しい意味を持って再解釈されることがよくありました。ジャンヌ・ダルクもその一例です。特に、1790年代には急進派の間でジャンヌの人気が高まり、彼女を題材にした演劇や出版物も増えました。


中でも、革命政府が打ち出した世俗的な祝祭(フェスティバル)では、ジャンヌ・ダルクの像が登場することもありました。彼女は“信仰の象徴”というより、市民が立ち上がる勇気と誇りのシンボルとして持ち上げられたんです。


その後、ナポレオン時代になると、ジャンヌは「帝国の英雄」としても利用されるなど、政治的な使われ方は時代によって変わりますが、それでも「無名の一市民が歴史を動かした存在」というジャンヌの物語は、革命が生んだ新しい価値観と相性が良かったわけです。

というわけで、ジャンヌ・ダルクはフランス革命の時代に実際に生きていたわけではありませんが、その生き様や象徴性が革命思想にぴったり重なり、再び脚光を浴びた人物だったんですね。


彼女の存在は、庶民が力を持ち、国を変えられるという希望のメッセージを体現していたとも言えるでしょう。まさに、革命という激動の時代にふさわしい「語り直されたヒロイン」だったのです。