フランス革命は女性差別の解消に繋がった?

フランス革命は女性差別の解消に繋がった?

フランス革命は平等理念を掲げたが、女性の参政権や政治的権利は認められなかった。女性の権利拡大を訴えた運動も弾圧され、差別は存続したのである。本ページでは、フランス革命が女性差別の解消に与えた影響を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命は「自由」「平等」といった価値を掲げた出来事ですが、その中で女性の地位や権利はどう扱われていたのでしょうか? 男性の市民権が強調される一方で、女性たちはどれだけその恩恵を受けられたのかが気になります。オランプ・ド・グージュのように女性の権利を訴えた人物もいたと聞きますが、実際に革命が女性差別の解消に繋がったのか、それとも限界があったのか教えてください。



フランス革命はたしかに「自由・平等・博愛」を掲げて社会を大きく変えましたが、その「平等」は主に男性の市民に限定されたものでした。女性たちも革命の現場で声を上げ、行動し、重要な役割を果たしましたが、彼女たちの権利や地位は革命後も大きく制限されたままだったんです。


女性も革命に積極的に関わっていた

革命初期から、女性たちは数多くの場面で活躍しました。1789年のヴェルサイユ行進では、主に市場の女性たちが中心となってパリから王宮へデモを行い、食糧難と政治への不満を訴えました。また、各地では政治クラブを結成し、パンの値下げや市民権の拡大などを求める声もあがります。


さらに、革命期には女性が新聞を発行したり、演説したり、議会前でデモや署名活動を行うなど、かなり積極的に政治参加を試みていました。つまり、「男たちの革命」とは言い切れない、市民としての女性たちの存在感があったわけです。


しかし、これらの活動が制度として認められることはなく、女性の政治参加や参政権は一貫して否定されていきました。


オランプ・ド・グージュの挑戦とその結末

そんな中、最も有名な女性活動家の一人がオランプ・ド・グージュ(Olympe de Gouges)です。彼女は1791年に『女性および女性市民の権利宣言』を発表し、革命政府が採択した「人権宣言」が男性に偏っていることを鋭く批判しました。


彼女はこの中で、「女性もまた生まれながらにして自由かつ平等である」と明言し、結婚・財産・教育・政治参加などあらゆる場面での平等を訴えます。これは当時としては非常に先進的で、今のフェミニズム思想の先駆けとも言えるものでした。


しかし彼女の訴えは体制にとって“危険”と見なされ1793年に反革命的とされて処刑されてしまいます。この出来事は、革命の理想が女性には適用されなかったことの象徴でもありました。


オランプ・ド・グージュの肖像

オランプ・ド・グージュの肖像
女性の権利を訴えたフランス革命期の女性権利擁護者。恐怖政治下で反革命的とみなされ処刑された。
(出典:Creative Commons Public Domainより)


制度上の限界とその後への影響

1793年には、女性の政治クラブや集会はすべて禁止され、女性は政治の場から排除されます。また、ナポレオン時代になると、女性の権利はむしろさらに後退し、「夫の許可なく契約できない」「教育や職業選択の自由がない」といった制限が法制度に組み込まれていきました。


つまり、革命期に見られた女性の活発な政治活動は、制度的にはまったく報われなかったというのが現実です。


とはいえ、この時期に女性たちが声を上げたこと自体が、その後の女性解放運動の原点となりました。19世紀後半からの女性参政権運動、20世紀のフェミニズムの潮流は、まさにこの「革命では得られなかった権利」を求めるものだったのです。


このように、フランス革命は女性差別の根本的な解消にはつながりませんでした


革命の理念が「普遍的」だったとはいえ、それは主に男性市民を対象としたもので、女性たちはその対象から外されていたのが実態です。


しかし、女性たちの行動は、やがて社会を変える長い運動の火種となり、「平等とは何か?」という問いを深めるきっかけを作ったとも言えるでしょう。