フランス革命で生まれた左翼と右翼って?どんな違いがあるの?

フランス革命で生まれた左翼と右翼って?どんな違いがあるの?

革命期の議会で急進派が議長席の左、保守派が右に座ったことが左右の呼称の起源だ。社会変革を志向する立場と既存秩序を重んじる立場の違いが、現代政治にも受け継がれたのである。本ページでは、フランス革命の政治文化や思想的対立構造を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命のときに「左翼」と「右翼」っていう言葉が生まれたって聞いたんですが、そもそもそれってどんな意味だったんでしょうか? ただの座る位置の違いだったって話もありますが、それがどうして今みたいな政治思想の違いになっていったのかがよくわかりません。ロベスピエールとシエイエスの立場の違いなんかも含めて、当時の「左翼」と「右翼」の意味を詳しく教えてください。



実は「左翼(さよく)」「右翼(うよく)」という言葉、はじまりは本当に「座る場所」から来ているんです。1789年、フランス国民議会の場で、王に権力を残そうとする人たちが議長から見て右側に、もっと急進的に改革を進めたい人たちが左側に座ったことが、現在の「右派・左派」という言葉のルーツなんですね。


でも、それは単なる席順ではなく、そこには政治や社会に対する根本的な考え方の違いがはっきりと表れていました。


「変える」か「守る」か──左右の分かれ目

ざっくり言えば、当時の左翼=改革派右翼=保守派・王党派という構図でした。左側にいた人たちは、王政の廃止や封建制度の解体など、従来の枠組みを変える社会変革を求めていました。一方で右側の人たちは、伝統的な体制をある程度守りつつ、徐々に変えていこうという立場だったのです。


この対立は、やがて「誰が政治を動かすべきか」という根本的な問いに発展します。左派は「主権は国民にある」とし、市民の手による政治を理想としました。逆に右派は、王や貴族、教会といった既存のエリート層による統治に一定の役割を認めていました。


つまり、この時期に政治の中心で交わされた議論が、現代にも続く左右の思想的な違いの原型になったんです。


ロベスピエールとシエイエス──左右を象徴する存在

たとえばロベスピエールは、代表的な急進左派の一人でした。彼は「国民の平等な権利」と「貧しい人々のための政治」を掲げ、王政の完全な廃止と共和制の徹底を主張。結果として恐怖政治にもつながってしまうんですが、それだけ社会の根本を変える意志が強かったんですね。


一方のシエイエスは、革命初期に「第三身分とは何か?」というパンフレットで名を馳せた人物で、当初は改革派の立場にありました。でも革命が進むにつれて、あまりに急激な変化には慎重になり、最終的には安定志向の保守的立場に移っていきます。


このふたりは、思想や行動の方向性の違いがはっきりしていて、まさに「左翼」と「右翼」の原型を表す存在なんです。


ロベスピエールとシエイエス

急進的な共和制支持者で、徹底した社会改革を断行した前者と、革命初期には積極的な改革を支持していたが、のちに保守的な立場へ転じた後者



現代に続く「左」と「右」の源流

フランス革命期の左右の対立は、やがて現代の政治にも引き継がれていきます。


左派は基本的に、平等や社会改革を重視し、弱い立場の人々を支援する政策に積極的です。右派は、伝統や秩序、自由競争を重んじ、市場経済や家族・宗教といった価値観を大事にする傾向があります。


もちろん現代ではこの分類もかなり複雑になっていますが、その根本にある「変えるべきか、守るべきか」という問いは、フランス革命当時から変わっていません。


つまり、フランス革命は「政治の左右」という概念そのものを生み出した瞬間だったわけです。そしてその背景には、王政と共和制、伝統と改革という、歴史的にも大きな選択があったのです。


このように、フランス革命の中で生まれた「左翼」と「右翼」という概念は、単なる席順の話ではなく、社会をどう変えていくか、それとも守っていくかという考え方の根本的な違いを示すものでした。


ロベスピエールとシエイエスという二人の姿を通して見ることで、その違いがより立体的に感じられますね。そしてこの対立構造は、今も世界中の政治に深く根付いているのです。