
ラファイエットってアメリカ独立戦争で有名だけど、フランス革命ではどんな役割を果たしたの?具体的な活動を教えて!
ジルベール・デュ・モティエ・ド・ラファイエット侯爵(1757–1834)は、アメリカ独立戦争の英雄として知られていますが、フランス革命でも重要な役割を果たしました。彼は自由と平等の理念を強く支持し、革命の初期段階で大きな影響を与えました。
革命が始まった1789年、ラファイエットは国民議会の議員として活躍しました。彼はフランス版の「人権宣言」といえる『人間および市民の権利宣言』の起草に関わり、アメリカ独立戦争で学んだ自由主義思想をフランスに持ち込みました。また、同年のバスティーユ襲撃後には、治安を維持するために結成された「国民衛兵」の指揮官に任命され、パリの秩序を保つために尽力しました。
彼の理想は、王政と共和制の中間にある立憲君主制の実現でした。そのため、彼は極端な急進派とも反革命派とも距離を置き、穏健な改革を求めました。しかし、1791年のヴァレンヌ逃亡事件で王室を守る立場を取ったことで、急進派の反発を招きます。その後、1792年にはジャコバン派による攻撃が激化し、ラファイエットはフランスを離れざるを得なくなりました。彼はオーストリア軍に捕まり、長い投獄生活を余儀なくされます。
革命の理想に忠実だったラファイエットですが、彼の中立的な立場がかえって敵を作る結果となりました。それでも、自由と平等の理念を掲げて行動した彼の姿勢は、現在でも評価されています。ラファイエットはフランス革命の理想と現実の狭間で揺れ動いた、時代を象徴する人物だったのです。
人権宣言を起草したラファイエット侯爵の肖像画/アリ・シェフェール作、1822年作
(出典:Creative Commons Public Domainより)