
フランス革命って、「貴族がみんなギロチンで処刑された」とよく聞きますが、それって本当なんでしょうか?
王政に仕えていた人たちは全員粛清されたのか、それとも生き延びた人もいたのか?
たとえば亡命した貴族や、革命後に政治に戻った人もいるって聞いたけれど、実際にはどうだったのか──歴史の現実を知りたいです。
|
|
「革命=貴族の皆殺し」みたいなイメージを持たれがちですが、実はそれ、少し誤解があります。
フランス革命ではたしかに多くの貴族が命を落としましたが、すべての貴族が処刑されたわけではありません。
むしろ亡命したり、革命に協力したり、巧みに生き残った貴族も多く存在していたんです。
1789年に革命が始まると、王政と結びついていた第一身分(聖職者)・第二身分(貴族)は大きな敵視の対象となります。
とくに1793〜1794年のロベスピエールらによる恐怖政治の時期には、反革命分子と見なされた貴族たちが次々と革命裁判所で有罪となり、ギロチンにかけられていきました。
有名なところでは、王妃マリー・アントワネットもその犠牲者の一人。彼女は王政の象徴として強く憎まれ、1793年10月に処刑されます。
マリー・アントワネットの処刑、1793年10月16日
恐怖政治下での処刑が行われたマリー・アントワネットの最後の瞬間を描いた絵画。フランス革命の激動の時期を反映した作品。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
とはいえ、フランスにいた全貴族が粛清されたわけではありません。
むしろ多くの貴族は、革命が本格化すると早い段階で国外に亡命しています。彼らは「亡命貴族(エミグレ)」と呼ばれ、ドイツやオーストリア、イギリスなどに逃れ、フランス王政復古の支援を求めて活動していました。
一方、革命に自ら協力することで身分を守った貴族も存在します。
その代表例がシャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール。彼は貴族出身でありながら、革命の理念を支持する姿勢を見せ、外交官として生き延びました。
彼はその後、ナポレオン政権下でも外相を務め、さらには王政復古後の政界にも戻るという驚異的な生存力を見せた人物。
つまり、時代の流れを読んで柔軟に立ち回った貴族たちは、社会的地位を維持し続けることもできたというわけです。
タレーランの肖像、1808年/フランソワ・ジェラール作
亡命貴族でありながら革命後の政治的な力を確立したタレーランを描いた肖像画。フランス革命とその後の動乱の中で生き残った彼の人生を象徴する作品。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
1799年にナポレオンが政権を握ると、国内は次第に安定に向かい、「かつての敵」であった貴族たちも徐々に社会へと復帰していきます。
ナポレオン自身も功績主義(メリトクラシー)を掲げつつ、旧貴族をうまく取り込み、国家運営に活かそうとしました。
また1814年のブルボン王政復古により、王政が一時的に戻ると、多くの貴族が正式に地位を回復します。
ただしこの時代のフランスは、もはや「昔ながらの絶対王政」とは異なり、近代的な制度と政治意識が根づきつつありました。
つまり、貴族は完全に消え去ったわけではなく、革命という荒波をくぐり抜け、形を変えて社会の中に生き残っていったのです。
このように、フランス革命で多くの貴族が命を落としたことは事実ですが、「皆殺し」では決してありませんでした。
逃げ延びた者、時代に合わせて生き残った者、そして革命後に再び政治の舞台に返り咲いた者もいたのです。
革命はたしかに身分制度の終焉をもたらしましたが、それと同時に、人々が新たな生き方を模索する時代の幕開けでもあったのです。
|
|