
フランス革命って政治や社会の大きな変化をもたらした出来事だけど、その裏でどれくらいの人が命を落としたのかはあまり知られていない気がします。戦争や処刑、暴動などいろいろな場面で犠牲者が出たと思うけど、全体でどのくらいの人数になるのか、そしてその内訳や背景も含めて教えてもらえますか?
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フランス革命(1789〜1799年)における死者数は、正確な統計が存在しないものの、歴史家の推計では数十万人規模に及びます。その犠牲は戦争・暴動・処刑・粛清など多様な形で発生し、革命の理想と現実の間に横たわる大きな代償を示しています。
1793〜1794年の恐怖政治期には、反革命派や革命に批判的な市民が大量に処刑されました。ギロチンでの公開処刑だけでも約1万6千人、裁判なしでの即決処刑や獄死を含めると約4万人が命を落としたとされます。
地方ではヴァンデ地方の反乱鎮圧で数万人が犠牲となり、内戦的な様相を呈しました。
『ジャンヌとヴィルジニーの救出』(1888年)
恐怖政治時期、虐殺から逃れた二人の女性を描いている
出典:ジョハン・ネポムク・シェーンベルクによる挿絵/Creative Commons Public Domainより
フランス革命戦争(1792〜1802年)では、ヨーロッパ諸国との戦争により約40〜50万人のフランス兵士が戦死したと推定されます。民間人も戦場や占領地での戦闘、補給不足、疫病によって多数亡くなりました。
国外でも、ベルギー、オランダ、イタリア、ライン地方などでの戦闘により数十万人規模の犠牲が出ています。
全期間を通じた死者数の推計は、40万〜60万人程度とされます。これは18世紀末の人口規模からすると非常に大きな数字であり、革命がもたらした社会変革の影に、多大な人的損失があったことを物語っています。
理想の実現を目指した革命が、同時に暴力と犠牲を伴ったことは、後世の歴史家や思想家にとって重要な検討課題となっています。
パリ革命広場(現コンコルド広場)で行われた処刑の様子(1793年)
コンコルド広場はフランス革命期にギロチンが設置され、多くの人々が処刑された象徴的な場所であり、恐怖政治の舞台ともなった
出典:Pierre-Antoine Demachy (画) / Public domainより
こうして見ると、フランス革命は政治的理想の追求と、それに伴う膨大な犠牲が表裏一体だったことが分かります。自由と平等の理念は残りましたが、その獲得には計り知れない代償が支払われたのです。
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