
フランス革命といえば貴族や民衆の対立がよく語られますが、その中間にいた「ブルジョワジー(市民階級)」がどんな立ち位置で、どんな役割を果たしたのかが気になります。第三身分に属していながらも、ある程度の財産や教育を持っていたとされる彼らは、革命の中でリーダー的な存在だったのでしょうか? 革命の進行や成果に、ブルジョワジーはどんな影響を与えたのか教えてください。
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フランス革命を語るうえで、ブルジョワジー(bourgeoisie)=中産市民階級は欠かせない存在です。貴族でもなく、都市の労働者や農民のような庶民でもない。弁護士、医者、銀行家、商人、知識人などを含む彼らは、第三身分に属しながらも、財産・学識・影響力を持っており、革命を動かす頭脳と資源を担っていたと言っても過言ではありません。
ブルジョワジーは、旧制度の中では経済的には成功していても、政治的な権利や社会的地位では貴族に及ばないという不満を持っていました。税は重く、公職や高位の軍職には就けず、活躍の場は経済の世界に限られていたんです。
特にフランスでは、経済が都市部で発展していたにもかかわらず、政治は依然として封建的で、努力しても身分の壁が立ちはだかるような社会構造が残っていました。そんな中で、啓蒙思想に触れたブルジョワジーたちは、「人は身分ではなく能力によって評価されるべきだ」という理念に強く共感するようになります。
革命の出発点でもある三部会の招集では、彼らが中心となって「国民議会」を立ち上げ、旧制度を乗り越える第一歩を踏み出しました。
1789年のバスティーユ襲撃に象徴されるように、民衆の怒りが革命の火をつけたのは確かですが、その怒りに制度的な変革を与えたのがブルジョワジーです。
彼らは国民議会での憲法制定を進め、「人権宣言」を起草し、王権に対して立憲君主制→共和制という流れをつくる知的リーダーシップを発揮しました。法の整備、財産の保護、経済活動の自由など、ブルジョワ的な価値観が革命の骨組みに深く組み込まれていきます。
その一方で、ブルジョワジーはサンキュロットのような労働者層とは一線を画す立場も取り、特に恐怖政治が進んだ時期には、一部がロベスピエールらの過激派から距離を置き、やがてテルミドール反動を支持するようになります。
1778年のブルジョワの少女の衣装
フランス革命前のブルジョワ階級の女児の服装。現代基準からすると実用的とはいえないが、当時の社会的地位を反映している。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
恐怖政治の終焉とともに、穏健派ブルジョワジーは再び政治の中心に返り咲きます。1795年の総裁政府のもとでは、財産に応じた制限選挙が導入され、事実上、ブルジョワ階級が国家の意思決定を担う時代が始まりました。
また、経済面でもギルドの廃止や職業選択の自由、自由貿易の促進など、市場経済に適したルールづくりが進められ、資本主義の芽が育っていきます。ナポレオンの登場後も、ブルジョワジーは彼の支援基盤となり、出世の道や商業の発展を通じてさらに力をつけていきました。
つまり、革命の混乱の中で貴族に代わって台頭した新たな支配階級こそがブルジョワジーだったとも言えるのです。
このように、フランス革命におけるブルジョワジーは、知識・資本・政治力を武器に、制度変革の中心を担った存在でした。
民衆の怒りを背景に革命を進めながらも、自らが新しい社会のリーダーとなることで、特権社会から市民社会への移行を現実のものとしたのです。
つまりブルジョワジーは、革命の理想と現実の「橋渡し役」であり、近代フランス社会の設計者でもありました。
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