山岳派とジャコバン派の違いとは?

山岳派とジャコバン派の違いとは?

ジャコバン派は広義で急進共和主義者全体を指し、山岳派はその中でも最も急進的で国民公会の上段席を占めた派閥だった。組織的範囲と政治姿勢の度合いに差があり、それが議会内外の対立につながったのである。本ページでは、フランス革命の急進派内部の構造や派閥間の力学を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命のなかで「ジャコバン派」と「山岳派」っていう言葉をよく見かけるんですが、これは同じグループのことなんでしょうか? それとも全然別物? 特にロベスピエールとかマラーがどっちに属していたのかも知りたいし、この2つの関係や違いを整理して教えてほしいです。



「ジャコバン派」と「山岳派」は、どちらもフランス革命期に登場する急進的な政治グループですが、完全にイコールというわけではありません。関係性で言えば、山岳派はジャコバン派の中にある一派であり、その中でも特に過激で主導的な存在だったと言えます。


この2つのグループを理解することで、革命の中でどのように政治の主導権が動き、どんな価値観が押し出されたのかが見えてくるんです。


山岳派 ジャコバン派
政治的立場 極めて急進的 急進的だが、山岳派ほどではない
主なメンバー ロベスピエール、サン=ジュスト ジョルジュ・ダントン、カミーユ・デムーラン
政策 テロ政治を推進、厳しい革命法の施行 より穏健な手法を取ることが多い
支持基盤 パリの労働者階級 より広範な市民階級
影響力のピーク 1793年から1794年の恐怖政治期 1792年から1794年まで、特に1793年前後


ジャコバン派は「急進改革を目指す政治クラブ」

まず「ジャコバン派」というのは、もともとジャコバン・クラブという政治クラブに参加していた人たちを指す呼び名です。正式には憲法友の会と呼ばれ、はじめは比較的穏健な改革派も含んでいました。


しかし、革命が進むにつれて穏健派は離脱し、急進的で共和主義的なメンバーが中心になります。その中核にいたのが、ロベスピエール、マラー、サン=ジュストといった人物たちでした。


ジャコバン派は、貧困層の支援や王政の完全否定、反革命勢力への断固たる対応を訴え、「民衆のための政治」を掲げて広い支持を集めていきます。その象徴ともいえるのが、1793年の国王処刑と恐怖政治ですね。


Jacobins

ジャコバン派が、その原稿や出版物に押印していた印章
(出典:Creative Commons Public Domainより)


山岳派は「ジャコバン派内の主導グループ」だった

「山岳派(モンターニュ)」は、国民公会の中において議場の高い位置(上段席)に陣取っていたグループで、そこからこの名前がつけられました。メンバーの多くはジャコバン・クラブに属しており、実質的にはジャコバン派の急進派と見なされます。


山岳派は、よりはっきりと王政の全面否定、経済統制、市民の直接的な政治参加を主張し、1793年から1794年の間、ロベスピエールを中心に国民公会で実権を握ることになります。


この時期は「恐怖政治」とも呼ばれ、反革命分子や政敵への粛清が激化しましたが、その目的は革命の成果を守りぬくことにありました。つまり、山岳派とは「行動派ジャコバン」のような存在だったんですね。


名前の重なりと立場の違いを整理すると…

ジャコバン派と山岳派の違いをざっくり整理すると、「ジャコバン派=政治クラブ全体」、「山岳派=その中で主導権を握った急進派」という関係になります。


たとえば、ジャコバン派には山岳派以外にも比較的温和なグループ(プレーニュ派など)もいましたが、革命が進行する中で山岳派が議会の中心を担い、事実上ジャコバン派を代表する存在となったのです。


特にロベスピエールは両方の顔を持っており、ジャコバン・クラブの指導者であり、国民公会の山岳派のリーダーでもありました。


つまり、ジャコバン派の中でも最も影響力を持ったのが山岳派であり、革命のラディカルな局面を動かしたのが彼らだったというわけです。