
フランス革命は18世紀末に絶対王政を倒して国民主権を打ち立てた大事件ですが、名誉革命は17世紀後半のイギリスで起きた王位交代劇だと聞きました。同じ「革命」といっても、流血の有無や進め方、目指した政治体制はまったく違うようです。この二つの革命は具体的にどこが異なり、どんな共通点を持っているのでしょうか?その歴史的な意味もあわせて教えてください。
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フランス革命(1789年~1799年)と名誉革命(1688年)は、ともに王権を制限し新しい政治体制を築いた出来事ですが、その経過と性質は大きく異なります。前者は民衆蜂起と社会構造の根本的な変革を伴う「社会革命」、後者は比較的平和的な政変で議会主権を確立した「立憲革命」でした。
特徴 | 名誉革命 | フランス革命 |
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時期 | 1688年 - 1689年 | 1789年 - 1799年 |
主な原因 | ジェームズ二世のカトリック優遇政策と専制政治 | 社会的・経済的不平等、啓蒙思想の影響 |
主な影響 | 議会主権の確立と立憲君主制の強化 | 王政廃止と共和制の導入 |
重要な出来事 | ジェームズ二世の逃亡、ウィリアムとメアリーの即位 | バスティーユ監獄の襲撃、テルミドールのクーデタ |
重要な人物 | ウィリアム三世、メアリー二世 | ロベスピエール、ナポレオン・ボナパルト |
名誉革命は、王権神授説を掲げるジェームズ2世と議会の対立が背景にありました。宗教的には国教会とカトリックの対立も激しく、議会はオランダ総督ウィリアムと妻メアリーを招き、無血で王位を交代させます。
フランス革命は、18世紀末の財政危機、農民や都市民衆の生活苦、そして啓蒙思想の普及が引き金に。封建的身分制度を廃止し、「国民こそが主権者」という理念の下で共和政を樹立しました。
権利の章典の批准/名誉革命
ウィリアム3世とメアリー2世が王位に就く前に権利の章典を批准する場面。この法的文書は、名誉革命による王権の制約と議会の権利の確立を象徴している。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
名誉革命の目的は、議会の権利と国教会の優位を確保することでした。その手段は武力衝突をほとんど伴わない王位継承の交渉であり、結果として権利の章典が制定され、立憲君主制が定着します。
フランス革命の目的は、国民主権と平等な社会の実現でした。バスティーユ襲撃などの武力蜂起から始まり、共和制の樹立、王の処刑、恐怖政治など、激しい社会的・政治的対立を経て新体制を築きます。
どちらも王権の制限を通じて新しい政治の枠組みを確立した点が共通しています。名誉革命は議会主権の制度化を進め、フランス革命は国民主権と人権思想を提示しました。また、両者とも他国に強い影響を与え、名誉革命は立憲政治のモデルとして、フランス革命は自由・平等の理念として世界中に波及しました。
ただし、名誉革命は既存の社会秩序を大きく崩さず政治制度を変えたのに対し、フランス革命は社会構造や文化までをも刷新した点で、性質は大きく異なります。
このように、名誉革命は平和的に議会制を確立した「制度改革型革命」、フランス革命は民衆蜂起を通じて社会全体を作り替えた「社会変革型革命」でした。いずれも王権の絶対性を否定し、近代政治の基盤を築く重要な節目となったのです。
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