フランス革命期の亡命貴族といえば?

フランス革命期の亡命貴族といえば?

フランス革命では、多くの貴族が国外に逃れ、反革命運動を支援した。彼らは資金や人脈を使い、外国勢力との連携を図ったのである。本ページでは、フランス革命期の亡命貴族の動きと役割を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命では、特権を持っていた貴族たちが民衆の怒りを買って次々と立場を追われたと聞きます。その中には、国外に逃れて亡命生活を送った人たちもいたとか。実際に革命期に亡命した貴族の中で、特に有名だった人物って誰なんでしょうか? その後どうなったのかも含めて知りたいです。



フランス革命は、それまで特権階級だった貴族や聖職者の世界をひっくり返した出来事でした。
当然ながら、革命が進むにつれて「自分の命も危ない」と感じた貴族たちは、次々と国外へ亡命していきます。


そうした人たちはまとめて「亡命貴族(エミグレ)」と呼ばれ、ヨーロッパ各国に散らばりながらフランス王政の復活を目指したり、あるいは静かに身を潜めたりと、さまざまな道を歩んでいきました。


その中でもひときわ異彩を放っていたのが、シャルル=モーリス・ド・タレーランという人物です。


タレーラン──革命期を生き延びた異色の亡命貴族

タレーランはもともと上級聖職者の出身で、革命前はカトリック教会の高位聖職者として裕福な暮らしをしていました。
でも、ただの保守派ではなく、革命の初期には聖職者としては異例の「改革派」として登場。1789年の三部会では平民側に立ち、国民議会でも活動しました。


しかし革命が急進化し、教会への攻撃が激しくなると、さすがに身の危険を感じて1792年にロンドンへ亡命。このとき彼は、「いったん距離を置こう」と判断したんですね。


ここまではよくある亡命貴族の流れですが、タレーランがすごいのは、そのあと堂々とフランス政界に戻ってくるところです。


タレーランの肖像

タレーランの肖像、1808年/フランソワ・ジェラール作
亡命貴族でありながら革命後の政治的な力を確立したタレーランを描いた肖像画。フランス革命とその後の動乱の中で生き残った彼の人生を象徴する作品。
(出典:Creative Commons Public Domainより)


革命→帝政→王政復古…すべてで生き延びたタレーラン

亡命後のタレーランはただ黙っていたわけではありません。
ヨーロッパ各国の政界とコネを築きながら、フランスの未来を“外交”という視点から見ていたのです。


1796年にはナポレオンの政権に招かれて外務大臣として復帰。
そこからは革命フランス、ナポレオン帝政、王政復古、七月王政と、なんと4つの体制すべてに関わるという、まさに「変わり身の達人」っぷりを見せます。


彼は自分の理想や信念を前面に出すタイプではなく、現実主義とバランス感覚を持って行動する外交官タイプ。
だからこそ、フランスがどんな政治体制になっても重用されたんですね。


ある意味で、タレーランは「亡命貴族」でありながら、革命を越えて生き延びた政治家でもあるんです。


亡命貴族たちの象徴とその教訓

多くの亡命貴族たちは、王政の復活を信じて外国から軍を率いて戻ろうとしましたが、その多くはうまくいきませんでした。
一方タレーランは、「時代に逆らうのではなく、どう適応するか」を考えた存在でした。


その柔軟さとしなやかさは、フランス革命という極端な変化の時代を生き抜くための、ひとつのサバイバル術だったのかもしれません。


このように、フランス革命期の亡命貴族といえば、タレーランの存在はひときわ異彩を放つ存在です。


貴族でありながら改革に共感し、恐怖政治からは距離を取り、帝政では外交官として活躍し、王政復古にも貢献――まさに「しぶとく、しなやかに」生き抜いた革命期のレジェンド。


彼の歩んだ道は、「変化の中でどう生きるか」という問いを私たちに投げかけているようです。