「離婚の自由」とは|フランス革命の変化解説

フランス革命と「離婚の自由」

フランス革命は、それまで認められなかった離婚を合法化した。これは個人の自由と男女平等の理念を社会に広める契機となったのである。本ページでは、フランス革命の家族法改革としての離婚自由化を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命の出来事を調べていたら「離婚の自由」という改革があったことを知りました。昔のヨーロッパでは離婚がほとんど認められなかったと聞きますが、革命の中でなぜ急に可能になったのでしょうか? その制度はどんな内容で、当時の社会や家族のあり方をどう変えたのか、背景や影響も含めて教えてほしいです。



離婚の自由とは、1792年のフランス革命期に市民が法的手続きで自由に結婚を解消できる権利が導入された改革です。

それまでのフランスはカトリック教会の影響下にあり、結婚は「神の前での不可解消の契約」とされていました。離婚は原則不可能で、死別や婚姻無効の特例以外は夫婦関係を終わらせる方法がほぼありませんでした。革命政府は教会権力を制限し、市民の自由と平等を拡大する一環として離婚制度を導入しました。


旧体制における結婚と離婚

旧体制(アンシャンレジーム)下では、結婚は宗教儀式として教会で行われ、解消はカトリック法の厳しい条件下でしか認められませんでした。

夫婦の不仲や暴力、性格の不一致といった理由で別れることは制度的にほぼ不可能で、特に女性は結婚によって夫の権威下に置かれ、経済的にも依存せざるを得ない状況でした。

啓蒙思想はこうした家族制度を批判し、「個人の幸福のための結婚」という考え方を広めていきます。



革命期の改革と離婚法

1792年9月、革命政府は民事婚と離婚の自由を定める法律を制定しました。

この法律では、双方の合意一方の申立て性格の不一致虐待長期の別居など、幅広い理由で離婚を認めました。手続きは教会ではなく民事裁判所で行われ、宗教的権威から完全に切り離されたのです。

これにより、特に女性が望まない結婚から解放される道が開かれ、結婚は宗教儀式から市民契約へと変わりました。


社会への影響とその後

離婚の自由は市民の私生活に大きな変化をもたらし、1790年代にはパリだけで年間数千件の離婚が成立しました。女性が自ら離婚を申し立てる事例も増え、家族の在り方や男女関係の価値観が変わっていきます。

ただし、ナポレオン政権下の1804年民法典(ナポレオン法典)では離婚条件が再び厳格化され、女性側の権利は大きく制限されました。それでも革命期の離婚制度は、近代的な家族法の先駆けとなり、19〜20世紀の離婚制度改革の礎となりました。


離婚の自由は、結婚を宗教的な束縛から解き放ち、個人の意思で人生を選び直せる道を開いた革命的な改革でした。

それは家庭生活のあり方を根本から問い直し、近代家族観の始まりを告げる出来事でもあったのです。