
フランス革命の話をしていると、ときどき名前が出てくる「フェルゼン伯爵」って、いったいどんな人物だったのでしょうか?
スウェーデン人なのにフランスの王妃マリー・アントワネットと深い関係があったとか、革命期に逃亡を助けたとか聞いたことがありますが、実際にどれくらい革命に関わっていたのかはよくわかりません。
フランス革命の流れの中でフェルゼンが果たした役割について、背景もふくめて教えてください!
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アクセル・フォン・フェルゼンは、フランス革命の「主役」ではありませんが、王政崩壊のドラマの中で重要な脇役として深く関わった人物です。
スウェーデンの貴族でありながら、マリー・アントワネットとの特別な関係を通じて、王室の危機に命がけで関与しました。
彼の物語は、革命によって変わっていく「忠誠」と「愛情」の在り方を象徴しているとも言えるでしょう。
フェルゼンは若き日にフランス宮廷を訪れ、そこでマリー・アントワネットと出会います。
二人の関係は長年にわたって親密で、恋愛関係だったとも言われていますが、確実なのは彼が王妃の信頼を得ていたという点です。
革命の気配が濃くなるなか、フェルゼンは国王一家の身を案じ、あらゆる形で支援を行いました。
もっとも有名なのが1791年の「ヴァレンヌ逃亡事件」──国王一家が変装して国外逃亡を試みた事件で、フェルゼンはその計画の立案者かつ実行支援者として動きました。
彼は馬車を手配し、パリから脱出させるための経路を整え、自らの身を危険にさらしながらも国王夫妻に同行します。
ただし、途中でフェルゼンは同行を断念し、王一家だけが先に進んだことで、最終的には計画は失敗。
国王一家はヴァレンヌの町で捕らえられ、革命の流れは一気に過激化していくことになります。
フェルゼンは逃亡失敗後もフランスを離れ、各国の王室や亡命者たちと連携してブルボン王政を取り戻す工作を続けました。
彼はオーストリアやスウェーデンの宮廷に働きかけ、フランス王室救出のための軍事介入を企てるなど、外交的な動きにも深く関わります。
ただし、フェルゼンが属していたのは革命に反対する旧体制(アンシャン・レジーム)の側であり、その活動は必ずしもフランス国内の支持を得られるものではありませんでした。
むしろ彼のような「外国の干渉」によって、革命派の危機感はさらに強まり、王政への信頼は完全に失われていきます。
このように、彼の活動は結果的に王室の孤立を深める一因にもなってしまったのです。
とはいえ、フェルゼン自身の行動には一貫して「王妃への忠誠と友情」があり、それが彼の人生を突き動かしていたことも確かです。
アクセル・フォン・フェルゼン(1755–1810)
マリー・アントワネットとの交流で知られており、革命期にはフランス国王夫妻の助命に尽力した。革命の混乱からは逃れたが、1810年自国スウェーデンの暴動でリンチにあい死去。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
フランス王政が崩壊し、マリー・アントワネットが処刑されたあとも、フェルゼンは王家の血筋を守るための活動を続けました。
とくに、ルイ16世とアントワネットの息子──「ルイ17世」の生存を信じ、彼を王として擁立しようと尽力したことはよく知られています。
しかし、時代はもう革命後の変革へと進んでおり、フェルゼンのような人物は次第に「過去の象徴」として敬遠されていきます。
1810年、彼はスウェーデンで政争に巻き込まれ、民衆の暴動によってリンチ死を遂げました。
王を守るために戦った彼の最期は、王政がもはや庶民の支持を得られない現実を象徴しているようでもあります。
それでも、彼の生涯は忠誠・友情・愛情が交差した、激動の時代を生き抜いた個人の姿として、今も語り継がれています。
このようにフェルゼンは、革命の嵐の中で王政を支えようとした、もう一つの「信念のかたち」を体現していた人物でした。
彼の行動は、単なる恋や友情を超え、旧体制を守ることへの使命感に満ちていましたが、それは時代の流れに逆らうものでした。
だからこそ、彼の物語は、革命によって変わった価値観や、失われた世界への哀悼を感じさせるものなのです。
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