
フランス革命といえば「自由・平等・博愛」というスローガンが有名ですが、なかでも「宗教の自由」って、いつ・どんな背景から登場した考え方なんでしょうか?それまでのフランスはカトリックが圧倒的な存在だったと思いますが、革命をきっかけにして信仰のあり方がどんなふうに変わっていったのか、具体的に知りたいです。ヴォルテールや啓蒙思想の影響なんかもあわせて教えてください!
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「宗教の自由」という言葉、今では当たり前のように聞こえるけれど、18世紀のフランスではかなりラディカルで挑戦的な思想だったんです。
実際にはフランス革命が初めてこの考え方を法的に明確化し、多くの市民に広めたきっかけとなりました。
ただし、この概念は革命で突然生まれたわけではなく、それ以前から啓蒙思想家たちの議論の中でじわじわと育まれていたんです。
「宗教の自由」の原型を作ったのが、まさにヴォルテールでした。
彼はカトリック中心の宗教支配がもたらす不寛容に強く反対し、有名な「タルティフ事件」や「カラス事件」などを通じて、異端とされた人々の冤罪を糾弾しました。
彼のスローガン「Écrasez l’infâme!(あの忌まわしきものを打ち砕け)」は、教会の横暴や迷信に対する強烈な抗議の叫び。とはいえ、無宗教を勧めていたわけではなく、むしろ「信じることは自由であるべき」という寛容の精神を説いていたんです。
ヴォルテールの思想は、理性や個人の判断を重んじるもので、フランス革命の人権宣言にもその影響が色濃く表れています。
ヴォルテール(1694 - 1778)/ニコラ・ド・ラルジリエール作
フランス・パリ出身の啓蒙思想家。専制批判、自由、寛容、理性を重視し、フランス革命の思想的基盤を築いたことで知られる。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
1789年に採択された人権宣言第10条には、「宗教的信念の自由は、公共秩序を乱さない限り妨げられてはならない」と明記されました。
これはフランス史上初めて、国家が市民の信仰の自由を明文化した瞬間でした。
それまではカトリック以外の信仰は事実上の排除対象。プロテスタントやユダヤ教徒は公職につけず、差別や迫害も日常的でした。
でも革命政府は、教会と国家の分離を進め、聖職者を公務員のように管理する「聖職者民事基本法」を導入。これは一種の国営化で、カトリック教会の特権を大きく揺るがしました。
また1791年にはユダヤ人に市民権が与えられ、革命政府の中には「信仰は個人の問題」と捉える世俗的な価値観が強く浸透していきます。
とはいえ、革命期の宗教政策が常に「自由」を守っていたわけではありません。
特にジャコバン派が権力を握った時期には、逆に反カトリック的な動きが過激化。教会の財産は没収され、多くの修道院が閉鎖されました。
さらに理性の崇拝という新しい「市民宗教」が持ち上がり、教会に代わって「理性」や「最高存在」への祝祭が行われるという、ある意味で新たな信仰体系が作られたとも言えます。
これは一部には、「信仰の自由」というよりは従来の宗教観を抑え込む政策だったとの批判もあります。
実際、敬虔なカトリック信者や地方の農民たちの間では、こうした政策に反発して反革命運動が起こることもありました。
つまり、革命が生んだ「宗教の自由」は、理念としては先進的でも、現実には政治的な揺れの中で揺らぎ続けたんです。
このように、フランス革命が打ち立てた「宗教の自由」は、啓蒙思想の流れを受けつつ、革命という劇的な社会変革の中で制度化され、同時に試されていった概念でした。
ヴォルテールらが訴えた「信じる自由」は人々に響き、革命政府はそれを法律の形に落とし込みましたが、その後の混乱や政治的偏りによって、しばしば矛盾や葛藤も生まれました。
それでも、この時期に芽生えた「信仰の選択は個人のものである」という考え方は、のちの近代国家や人権思想の根幹をなす大事な柱となっていきます。 宗教の自由は、フランス革命の理想と現実のあいだで揺れながらも、確実に歴史の中に根を下ろしていったのです。
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