
フランス革命で「人権宣言」が出されたのは知っているけど、あれって女性の権利もちゃんと含まれていたのかな? 当時の女性たちは革命にどう関わって、どんな変化を手に入れたのかも気になります。政治や社会の仕組みが変わった中で、女性の立場や生活は本当に良くなったのか、それともまだ制限が多かったのか、詳しく教えてください。
|
|
フランス革命(1789〜1799年)は、市民平等や国民主権を掲げた一方で、女性の権利については限定的な進展しかもたらしませんでした。革命の理念に触発され、多くの女性が政治活動や社会改革に関わりますが、その成果は必ずしも制度として定着したわけではありません。
革命が始まると、女性たちは市場でのデモや政治クラブへの参加、パンの値下げ要求などで積極的に行動しました。1789年10月のヴェルサイユ行進では、数千人の女性が国王に直接要求を突きつけ、革命の転換点を作ります。
また、思想家オランプ・ド・グージュは1791年に『女性および女性市民の権利宣言』を発表し、「女性は生まれながらにして男性と平等である」と主張しました。この宣言は後の女性解放運動の原点とされます。
オランプ・ド・グージュの肖像
18世紀の肖像画で、オランプ・ド・グージュが座って本を持つ姿を描いている。フランス革命期に女性の権利擁護で活躍し、『女性および女性市民の権利宣言』を著したことで知られる。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
しかし、1791年のフランス人権宣言やその後の憲法は、政治的権利を基本的に男性市民に限定しました。女性は投票権や公職就任権を持たず、革命政府は1793年には女性クラブを解散させ、政治活動を制限します。
オランプ・ド・グージュ自身も、革命政府に批判的な意見を述べたことで1793年に処刑されました。つまり、女性の政治的平等は理念としては語られたものの、実際には後退する面もあったのです。
短期的には権利の拡大は限定的でしたが、革命期に生まれた議論や活動は19世紀以降の女性運動の基盤となりました。教育機会の増加や家族法の改革はゆるやかに進み、女性の市民としての意識も広がります。
後世の女性参政権運動は、オランプ・ド・グージュら革命期の先駆者たちを象徴的存在として語り継ぎ、彼女たちの理念を現実の権利として獲得していく道を歩むことになります。
こうして見ると、フランス革命は女性の権利を理念として可視化した重要な契機でありながら、その実現は次の世代以降に持ち越されたことがわかります。
|
|