テュイルリー宮殿がフランス革命期に果たした役割とは?

フランス革命関連の建物・場所に関する一問一答

「テュイルリー宮殿がフランス革命期に果たした役割とは?」という問いに対する回答になります。国王一家の幽閉地や革命の象徴として重要な舞台となったテュイルリー宮殿の歴史を詳しく解説します!

テュイルリー宮殿がフランス革命期に果たした役割とは?

フランス革命期にテュイルリー宮殿が重要な場所だったって聞いたけど、どんな役割を果たしていたの?革命とどう関わっていたのか知りたい!

テュイルリー宮殿は、フランス革命期において政治的、象徴的な役割を果たした重要な場所です。この宮殿は、もともとフランス王室の居住地として使われていましたが、革命が進むにつれてその意味が大きく変わりました。

 

1791年、ヴァレンヌ逃亡事件で失敗したルイ16世とマリー・アントワネットが捕らえられた後、王室一家はヴェルサイユ宮殿からテュイルリー宮殿へと移され、事実上の幽閉生活を送ることになりました。この宮殿は、パリの中心地に位置していたため、市民や革命政府が王室を監視しやすい場所でした。王政と革命政府の間で緊張が高まる中、この場所は革命の政治の中心地となっていきました。

 

1792年8月10日には、八月十日事件が発生しました。この事件では、パリの民衆と国民衛兵が宮殿を襲撃し、スイス傭兵が守っていた宮殿は陥落しました。この襲撃により、王政は完全に崩壊し、ルイ16世一家は正式に逮捕されることになりました。この出来事は、フランス革命の転換点として歴史に刻まれています。

 

Storming of the Tuileries Palace 1793

テュイルリー宮殿襲撃/1793年
1793年、テュイルリー宮殿襲撃の様子を描いたジャック・ベルトーの絵画
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

その後、テュイルリー宮殿は革命政府の行政施設や議会の場として使われ、ナポレオン・ボナパルトの時代には再び権力の象徴となりました。しかし、1871年にパリ・コミューンによって放火され、現在はその跡地が庭園として残っています。

 

以上のように、テュイルリー宮殿は、王政の終焉と革命の進展を象徴する舞台として、フランス革命期に重要な役割を果たしました。フランス近代史を語る上で欠かせない存在ですね。