
フランス革命の話でよく「サンキュロット」という言葉を見かけますが、具体的に彼らはどんな人たちで、革命の中でどんな役割を果たしたんでしょうか? 「第三身分」や「労働者階級」という説明はなんとなくわかるんですが、名前の意味や行動、政治的な影響力など、もっと詳しく知りたいです。彼らはただの暴徒だったのか、それとも思想を持った運動家だったのか──教えてください。
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「サンキュロット(Sans-culottes)」という言葉、最初に聞くとちょっと不思議ですよね。でも実はこの名前には、彼らの誇りと怒りの両方が込められているんです。サンキュロットはフランス革命の中でも特に都市の労働者階級を代表する存在で、革命の現場で活発に行動し、政治にも強い影響を与えました。
「サンキュロット」とは、文字通りには「キュロット(膝丈ズボン)を履かない者」という意味です。キュロットは貴族や上流階級の男性が身につける華やかな服装で、シルクのストッキングと合わせて履くのが特徴。
それに対して、サンキュロットたちは長ズボンに木靴、革命帽をかぶり、実用的で質素な服装をしていました。つまりこの呼び名には、「自分たちは特権階級ではなく、庶民の側にいる」という誇りと階級的なアイデンティティが込められていたんですね。
当初は侮蔑的な意味合いもありましたが、革命が進むにつれて「民衆の象徴」として使われるようになり、むしろ名誉ある称号とされるようになりました。
フランス革命期のサンキュロット
革命期に活動的だった労働者階級、サンキュロットを描いた絵画。シンプルで実用的な服装が特徴的で、彼らの日常生活と革命における役割を表現。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
サンキュロットは主に都市の職人・小商人・労働者などから構成され、特にパリでは革命の原動力となる存在でした。物価高騰や失業、食料不足などに直面していた彼らは、王政や特権階級に対して強い怒りを抱き、「平等な社会」を求めて積極的に行動します。
具体的には、バスティーユ牢獄の襲撃や、チュイルリー宮殿の襲撃といった大規模な暴動の主力となり、革命政府を後押ししました。さらに、革命裁判所や公安委員会への圧力を通じて、政治的にも大きな影響力を持ち始めます。
特にジャコバン派(ロベスピエールら)と手を組んだ時期には、「反革命分子は処刑せよ!」という強硬な姿勢を取り、恐怖政治の一端を担うことにもなっていきます。
サンキュロットは単なる「暴徒」ではありませんでした。彼らには明確な政治的要求がありました。例えば、
など、今で言えば社会主義的な政策に近い考え方を持っていたんです。
しかし、1794年のテルミドール反動でジャコバン派が失脚すると、サンキュロットの影響力も急速に低下。富裕市民中心の穏健派政権が誕生すると、彼らの要求は次第に切り捨てられていきました。
それでも、サンキュロットの存在は、「民衆が政治に直接関与する力を持ちうる」ことを証明した重要な事例として、フランス革命史にしっかり刻まれています。
このように、サンキュロットはただの過激派ではなく、貧しい民衆の声を社会に届けた存在でした。
彼らの行動は時に激しくもありましたが、その背景には生活の苦しさと平等への切実な願いがありました。フランス革命を語る上で、王や議会だけでなく、この「地を歩く人々」の視点を忘れてはいけないんです。
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