フランス革命期、亡命していたユグノーは帰国できたの?

フランス革命と宗教・信仰に関する一問一答

「フランス革命期、亡命していたユグノーは帰国できたの?」という問いに対する回答になります。ユグノー迫害の歴史、革命期の政策、帰国を可能にした要因に着目し、フランス革命が亡命ユグノーに与えた影響を理解していきましょう!

フランス革命期、亡命していたユグノーは帰国できたの?

フランス革命のときに迫害されて国外に逃れていたユグノーたちは、革命後に帰国することができたの?

ユグノー(カルヴァン派のフランス・プロテスタント)は、17世紀後半に強い迫害を受け、多くが国外へ亡命しました。特にルイ14世が1685年にナントの勅令を廃止し、プロテスタントの宗教活動が禁止されたことで、約20万人ものユグノーがイギリス、オランダ、スイス、ドイツなどに移住しました。しかし、フランス革命が彼らの運命を大きく変えることになったのです。

 

ヴァッシーの虐殺

『ヴァシーの虐殺』/16世紀フランス学派
1562年にフランス、ヴァシーで発生したユグノーに対する虐殺事件を描いた作品。この出来事はフランス宗教戦争の触発となり、長期にわたる宗教的対立の火種となった。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

フランス革命では、自由と平等を掲げる理念が宗教の自由にも適用されました。1787年に発布された宗教寛容令(ルイ16世による)でプロテスタントの市民権が部分的に回復し、さらに1789年の人間と市民の権利の宣言で、全ての人が信仰の自由を享受する権利を持つと宣言されました。その後、1791年にプロテスタントの完全な公民権が認められ、ユグノーの帰国が事実上可能になったのです。

 

ただし、多くのユグノーは帰国を選びませんでした。新しい生活基盤を築いていたことや、革命後のフランスが依然として不安定だったことが理由です。それでも、フランス革命はユグノーが法的に平等な地位を取り戻し、フランス社会の一員として復帰する道を開いた重要な転換点となりました。

 

このように、フランス革命は亡命ユグノーの帰国を可能にし、宗教的寛容と平等の新しい時代を切り開いたといえるのです。この動きは、フランス国内外の宗教的多様性の向上にも寄与しました。