フランス革命で成立した共和政とは?王政との違いは何?

フランス革命で成立した共和政とは?王政との違いは何?

フランス革命で成立した共和政は、国王不在の下で国民代表が国家を運営する体制だった。王権の世襲を前提とする君主制とは根本的に性格が異なったのである。本ページでは、フランス革命の共和政と王政の違いを理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命によって「共和政」が誕生したって習ったけど、正直どういう制度なのかよくわかっていません……。
それまでの「王政」とは何がどう違うの? そもそも国王を廃止してまで、なぜ共和政を目指す必要があったのか──当時の人たちが何を求めていたのか、その背景も含めて知りたいです!



「共和政」って、なんとなく「王様がいない政治」というイメージかもしれませんが、実はもっと深い意味があります。
フランス革命で生まれた第一共和政は、それまでの「王が国の中心」だった社会から、「国民が主権を持つ社会」へ大きく舵を切る画期的な制度改革だったんです。


「王がいない」だけじゃない、国民が主役の政治体制

まず王政とは、国の元首が世襲の国王で、実権を握ることが基本です。とくにフランス革命前は絶対王政で、ルイ16世のような国王が法律も軍も財政もほぼ独占していました。


それに対し共和政は、国の最高権力者が選挙や制度によって選ばれる仕組みで、王族のように血筋で決まることはありません。そして主権は国民全体にあるとされます。


フランスでは1792年、ルイ16世の処刑とともに王政が廃止され、「第一共和政」が成立。これにより国王不在の国家として、国民公会がフランスを率いることになります。


このときのスローガン「自由・平等・博愛」は、まさに国民が国家の主人公であるべきという考え方を象徴していたんですね。


なぜ王政ではなく共和政を選んだのか?

フランス革命が始まったころ、最初から王を倒そうとしていたわけではありません。最初は立憲君主制(国王はいるが憲法で権限を制限)を目指していました。


でも、王政のままだと改革が進まない・王が信用できない・民意が反映されにくいといった不満が爆発して、ついに王政そのものを否定する動きになります。


とくに決定的だったのが、ルイ16世がオーストリアと通じて国外逃亡を企てた事件(ヴァレンヌ事件)や、対外戦争で王が敵と結託していると疑われたこと。


「このままでは改革も命も危ない!」と感じた人々は、最終的に王の処刑と共和政の樹立に踏み切ったのです。


その背景には、すべての市民が平等で、政治に参加できる社会を目指すという、啓蒙思想の影響も強くありました。


Examination of Louis XVI in the National Convention

国民公会におけるルイ16世の裁判
国民公会の議場・屋内馬術練習場におけるルイ16世の裁判の様子を描いた絵画
(出典:Creative Commons Public Domainより)


共和政は未完成でも、新しい可能性を切り開いた

1792年に始まった第一共和政は、理想と現実のギャップに悩まされながらも、多くの新しい挑戦を行いました。


国民公会では普通選挙が実施され、すべての男性市民に投票権が与えられましたし、王や貴族ではなく国民が政治を担うという体制が実現されたのです。


ただ、内部ではジャコバン派とジロンド派の対立や、恐怖政治による粛清、経済危機など、数々の混乱が続き、安定した政治とは言いがたい状況でもありました。


それでも、この時代に国民のための政治とは何かという議論が交わされ、共和政という新しい国家の形が具体的に試されていったことは、後のフランスだけでなく、世界中の民主主義国家の原点とも言える重要な一歩でした。


このように、共和政とは「国民が主権を持つ国家」という考え方を制度として実現したものであり、王政とはまったく異なる政治のかたちです。


フランス革命を経て生まれた第一共和政は、たとえ未熟であっても、「誰が国家を動かすべきか」についての根本的な問いに挑んだ時代だったのです。


その挑戦こそが、現代の民主主義の土台となって、今もなお世界の多くの国々で息づいています。