ヴェルサイユ宮殿がフランス革命期に果たした役割とは?

フランス革命関連の建物・場所に関する一問一答

「ヴェルサイユ宮殿がフランス革命期に果たした役割とは?」という問いに対する回答になります。フランス革命の序章となる場面や、王政の終焉を象徴する出来事が起きたヴェルサイユ宮殿の歴史を詳しく解説します!

ヴェルサイユ宮殿がフランス革命期に果たした役割とは?

フランス革命期にヴェルサイユ宮殿はどんな役割を果たしていたの?革命の象徴的な舞台にもなったって本当?

ヴェルサイユ宮殿は、フランス革命期において重要な政治的・象徴的な役割を果たしました。この宮殿はもともとルイ14世が建設した豪華絢爛な王室の拠点であり、絶対王政の象徴でしたが、革命が進む中で新しい歴史の舞台となりました。

 

1789年、ヴェルサイユ宮殿はフランス革命の始まりを告げるいくつかの重要な出来事の現場となりました。まず、5月には三部会が招集されましたが、特権階級と第三身分(平民)との対立が深まり、国民議会が結成されるに至ります。続いて6月には、国民議会の議員たちがヴェルサイユ内のテニスコートの誓いで憲法制定を誓い、革命の方向性を定める大きな一歩を踏み出しました。

 

さらに、10月にはヴェルサイユ行進(別名:十月行進)が起こります。この出来事では、パリの女性たちがパンの高騰に抗議し、ヴェルサイユに押し寄せました。民衆が武装して宮殿に侵入した結果、ルイ16世一家はパリのテュイルリー宮殿へ移され、宮殿は政治の中心地としての役割を失いました。この移動は、王政の権威が失墜した象徴的な出来事でした。

 

Women's March on Versailles

『ヴェルサイユ行進』/1789年10月5-6日
フランス革命初期、パリの市民、特に女性たちがヴェルサイユ宮殿への行進を行い、生存権と改革を訴えた。フランス革命における重要な転換点である。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

その後、ヴェルサイユ宮殿は革命期に政治的な舞台としての役割を終えましたが、その豪華さは民衆の不満を煽る要因ともなり続けました。ヴェルサイユ宮殿は、フランス革命の序章としての重要な舞台であり、王政崩壊の象徴的な場所でした。現在では、フランスの壮大な歴史を伝える観光地として知られています。