
フランス革命といえばルイ16世の時代だけど、後に王位についたルイ18世も関わりがあったの?彼が革命期に何をしていたのか知りたい!
ルイ18世(1755–1824)は、ルイ16世の弟であり、フランス革命後の王政復古時代に王位についた人物です。彼自身は革命期に直接的な役割を果たしたわけではありませんが、亡命先で王党派をまとめる中心的存在として活動していました。
革命が勃発した当初、ルイ18世(当時はプロヴァンス伯)は、兄ルイ16世の政策に反対しつつも、革命を強く非難していました。1791年のヴァレンヌ逃亡事件の際には、彼も国外亡命を図り、成功しています。その後、ルイ16世が処刑されると、亡命王党派の間で「ルイ17世の摂政」として支持され、革命政府と対立する立場を取り続けました。
彼は主にヨーロッパ各国を転々としながら、フランス国外の反革命勢力を支援し続けました。イギリス、ロシア、オーストリアといった国々の君主に働きかけ、革命政府を打倒し、ブルボン家を復権させるための外交を行ったのです。しかし、ナポレオンの台頭によってフランス内外の政治情勢が変わり、王党派の復権運動は停滞を余儀なくされました。
最終的に、ルイ18世は1814年にナポレオンの退位を受けてフランスに戻り、王政復古を果たします。彼は憲法を受け入れ、立憲君主制のもとでの統治を目指しましたが、革命の影響で変わった社会の中で、彼の治世はさまざまな困難に直面しました。
ルイ18世のフランス革命への関与は、王室を亡命先から支え、ブルボン家の復権を目指したその外交努力にありました。彼の行動は、革命とその後のフランスの歴史において重要な意味を持つものだったのです。
ルイ18世(1755–1824)
ロベール・ルフェーヴル作。ウィーン会議後の王政復古期の国王ルイ18世を描いた肖像画
(出典:Creative Commons Public Domainより)