フランス革命戦争でフランスはどれほど領土拡大したの?

フランス革命戦争でフランスはどれほど領土拡大したの?

フランス革命戦争により、ベルギーやオランダ南部、ライン左岸、北イタリアなどが支配下に入った。これらの地域は行政改革や法制度の移植を受け、フランス化が進んだのである。しかし領土拡大は周辺国との対立を激化させた。本ページでは、フランス革命戦争による領土変化を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命戦争でフランスはヨーロッパ中と戦ったわけですが、その結果、どれくらい領土を広げたのでしょうか? 革命の理念を広めるための戦争と言われますが、実際にはかなりの地域を支配下に置いたとも聞きます。条約や戦勝の積み重ねでどんな領土拡大があったのか、詳しく教えてください!



フランス革命戦争(1792〜1802年)でのフランスは、防衛から始まり、やがて大規模な領土拡大へと進みました。最終的にはフランス本土の国境を広げただけでなく、各地に「姉妹共和国」を作って影響力を広げています。


西と南での拡大──ピレネーと地中海沿岸

1795年、スペインとの間でバーゼルの和約が結ばれ、フランスはピレネー山脈沿いのルシヨン地方とセレダーニュ地方を獲得しました。これは南フランスの国境線を押し広げる重要な成果でした。地中海沿岸でもコルシカ島を再び掌握し、南方の安全を確保します。


Peace of Basel

バーゼルの和約後の中央ヨーロッパ
1795年にスペインとフランス間で締結されたバーゼルの和約で、フランスは領土拡大を果たし、特にルシヨン地方がフランス領となった。
(出典:Creative Commons Public Domainより)


北と東での拡大──ベルギー・ライン川流域

オーストリアとの戦いでは、1797年のカンポ・フォルミオ条約でベルギー(当時はオーストリア領ネーデルラント)と、ライン川左岸地域をフランス領に編入します。これにより、フランスの東側国境は自然の防壁とされるライン川まで前進しました。これらの地域は経済的にも重要で、鉱山や港湾など戦略的価値が高かったのです。


直接編入だけでなく「姉妹共和国」で影響力拡大

領土編入に加えて、北イタリアにチザルピーナ共和国、オランダにバタヴィア共和国など、フランスの影響下にある「姉妹共和国」を複数誕生させました。これらは名目上は独立国ですが、政治制度や軍事面でフランスと密接に結びついており、事実上の勢力圏となっていました。こうしてフランスは領土の外側にも広大な影響圏を築いたのです。


つまりフランス革命戦争による領土拡大は、本土の国境線を大きく広げる直接的な獲得と、姉妹共和国による間接支配の二本柱で進みました。この拡張路線は、のちのナポレオン時代の大帝国建設への土台となっていきます。