
フランス革命って登場人物がとても多いので、誰が本当に重要だったのかよく分からなくなります。いろんな名前が出てきますが、「この人たちを知っておけば革命の流れが見えてくる」という、まさにキーパーソンの革命家たちを教えてください。できれば、それぞれがどんな考えを持って、どんな役割を果たしたのかも知りたいです!
|
|
フランス革命は、「民衆の蜂起」というだけでは語り尽くせない、濃密な人間ドラマの宝庫です。
その中でも、とくに知っておきたいのがロベスピエール、ダントン、マラーという3人の革命家。
この3人がいなければ、あの大きな変革は動き出さなかった――そう言っても過言ではないくらい、それぞれが革命の中で大きな役割を果たしました。
マクシミリアン・ロベスピエールは、フランス革命の中盤から後半にかけての主役です。
彼は「徳のある共和国」を目指し、腐敗した王政や特権階級を厳しく批判。貧しい人々の味方として民衆からの支持を集めていきました。
その信念はとても強く、どんなに批判されても自分の理念を曲げないタイプ。
でもそれが裏目に出て、1793年〜94年にかけての恐怖政治では、反対派を次々とギロチンにかけるという強硬手段に出ます。
理想を守るために手段を選ばなかったロベスピエールは、最終的には「恐怖の象徴」となり、1794年に処刑されてしまいます。
でも彼が掲げた「平等」と「人民主権」の理念は、革命の根幹を支えていたことも確かです。
マクシミリアン・ロベスピエールの肖像
フランス革命期のジャコバン派リーダー、マクシミリアン・ロベスピエールを描いた肖像画。恐怖政治を推進し、多くの人々をギロチンに送ったことで知られている。
(出典: Creative Commons CC0 1.0より)
ジョルジュ・ダントンは、民衆を勇気づける情熱的なスピーチの達人でした。
「八月十日事件」で王政を崩壊へと追い込んだのも、彼の演説が引き金のひとつ。
公安委員会の初代議長にもなり、革命政府の安定化に努めるなど、政治的なバランス感覚も持ち合わせていました。
ただ、恐怖政治がエスカレートするにつれ、「やりすぎは良くない」とロベスピエールと意見が食い違うようになります。
最終的にはその穏健な立場が仇となり、1794年に処刑されてしまいます。
ダントンの最期の言葉、「私は革命を築いた。だがそれに飲み込まれた」は、あまりにも象徴的ですね。
ジョルジュ・ダントンの肖像
フランス革命期の立役者であるジョルジュ・ダントンの肖像画。民衆を扇動して八月十日事件(テュイルリー宮殿襲撃)を引き起こしたことで知られる。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
ジャン=ポール・マラーは、医者としての顔を持ちながら、新聞「人民の友」を通じて革命を煽動した言論の革命家です。
彼の記事は過激で、敵対する人物や体制を名指しで批判。中には「処刑すべき」とまで書くこともあり、恐怖政治の精神的な下支えとなった存在でもありました。
とくにサン・キュロットと呼ばれる庶民層からの支持が強く、彼の言葉に突き動かされた人々が暴動や蜂起を起こすこともあったほど。
でもその過激さゆえに敵も多く、1793年、シャルロット・コルデーという女性に刺殺されてしまいます。
死後は「殉教者」として英雄視され、ダヴィッドによる有名な絵画『マラーの死』にも描かれることになります。
ジャン=ポール・マラーの肖像
ジョセフ・ボーズによる肖像画。革命的な新聞を通じてフランス革命の立役者となった政治家。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
このように、ロベスピエールは理念、ダントンは情熱、マラーは言葉――それぞれ違った力で革命を動かした、まさに「知っておくべき3人の革命家」です。
彼らは時に協力し、時に対立しながらも、フランスを古い体制から引きはがす大きなうねりを生み出しました。
そしてその姿は、革命の理想と現実のはざまで揺れ動く人間の姿そのものだったとも言えますね。
|
|