
フランス革命で王政が倒れたのに、その後また王政復古したのはどうして?何が理由で昔のような体制に戻ったのか、教えて!
フランス革命(1789–1799)では王政が廃止されましたが、1814年にブルボン朝の王政復古が行われました。その理由には、革命後の混乱やナポレオン戦争の影響、そしてヨーロッパ諸国の思惑が絡んでいます。以下に、その背景を解説します。
フランス革命後、立憲君主制、共和制、総裁政府、帝政と短期間で政体が次々に変わり、フランス国内は混乱が続きました。このような状況の中、多くの人々は政治的な安定を求めるようになり、旧体制の復活を受け入れる土壌が生まれました。
ナポレオン戦争が続く中、フランスはヨーロッパ諸国との対立に疲弊しました。1814年、ナポレオンが退位すると、フランス国内での権力の空白を埋める形でブルボン家が復活しました。
1815年のウィーン会議では、「正統主義」という理念が採用され、革命やナポレオンによって失われた君主制の復活が進められました。これに基づき、フランスでもブルボン家が「正統な支配者」として擁立されました。
ルイ18世/ロベール・ルフェーヴル作
ウィーン会議後の王政復古期の国王ルイ18世を描いた肖像画。彼の治世はフランスにおける王政の安定をもたらした。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
ヨーロッパの列強諸国(オーストリア、ロシア、プロイセン、イギリス)は、革命の再燃を防ぐため、フランスに安定した君主制を戻すことを望みました。彼らにとって、革命の理想が広がることは自国の体制にとって脅威だったのです。
王政復古後も、フランス革命で確立された平等や財産権の理念は維持されました。これは、完全に旧体制に戻るのではなく、革命の成果を部分的に受け入れることで、民衆の反発を最小限に抑える狙いがありました。
フランス革命後の王政復古は、革命による混乱を収束させ、列強の思惑や民衆との妥協を経て実現したものなのです。しかし、完全な旧体制への回帰ではなく、革命の影響が残る中での新たな秩序として機能しました。