
フランス革命っていうと、「民衆の怒りが爆発して王政を倒した」というイメージが強いですが、最近ネットで「実はイギリスが裏から仕掛けた社会実験だった」という説を見かけました。表向きは自由や平等を求める革命だけど、裏ではイギリスが何かしらの意図をもって動いていた可能性があるってこと?それってただの陰謀論なのか、それとも何か根拠がある話なのか、ちゃんと歴史的な視点から教えてほしいです。
|
|
この「フランス革命はイギリスの社会実験だった説」──確かに一部の歴史評論やネット論壇では語られることがありますが、結論から言えば、史実としての裏付けは極めて薄く、あくまで仮説や陰謀論の一種として扱われているものです。
ただ、全くのデタラメとも言い切れない部分もあり、なぜこの説が生まれたのか、どういう点で議論が分かれるのかを掘り下げてみると、18世紀末の国際政治のリアルな駆け引きや、情報戦の側面が見えてきます。
この説の根っこにあるのは、「フランスの混乱がイギリスにとって都合が良すぎたのでは?」という疑念です。絶対王政を掲げてヨーロッパで大きな影響力を持っていたフランスが、自壊するかのように国内崩壊していったことで、イギリスは国際的に優位な立場を手にしたのは確かです。
また、イギリスには古くから他国の内政に干渉し、間接的に勢力をコントロールする伝統があります。例えばアメリカ独立戦争の裏でも複雑な外交工作を行っており、「フランスに同じ手を使った可能性もあるのでは?」という見方が出てきたのです。
しかし、それを「イギリスが最初から革命を仕組んだ」とまで言い切るのは、やはり無理があります。革命の起点となった深刻な財政危機、特権階級の存在、啓蒙思想の広がりは、あくまでフランス国内の事情によるものでした。
むしろ史実を見ると、イギリス政府は革命の拡大を非常に恐れており、その流れを食い止めようと必死だったことがわかります。保守派エドマンド・バークの『フランス革命の省察』などは、その象徴です。
バークは革命の理念そのものを批判し、急進的な変化は国家を壊すだけだと訴えました。さらに、イギリス政府は国内の急進派を弾圧し、スパイを使って改革運動を監視していました。これは「社会実験を促した」どころか、「革命の火が自国に飛び火するのを全力で防いだ」対応だったのです。
つまり、イギリスが関与したとすれば、それは抑制的な方向での関与であって、フランスに混乱を意図的に仕掛けた証拠は見つかっていません。
とはいえ、「怪しい」と言われるような動きが全くなかったわけでもありません。ロンドンの銀行家や商人の中には、革命によって貴族層が没落し、新しい市場が生まれることを期待していた者もおり、金融面での裏支援があった可能性も議論されています。
また、革命を称賛するイギリスの知識人や出版人たちの中には、フランスで流通する pamphlet(パンフレット)を支援した人物もいます。ですが、これらの活動はイギリス政府の公式政策というより、個人レベルの思想的支援であり、組織的な工作とは距離があります。
というわけで、「フランス革命=イギリスの社会実験」という説は、一部の状況証拠や後知恵的な見方に基づいたもので、歴史学の主流的な見解では支持されていません。
ただし、革命の混乱を「利用」しようとする動きがなかったとは言えず、特に経済的・思想的なレベルでイギリスが果たした役割は、もっと注目されてもよいテーマではあります。
事実と陰謀のあいだにはグラデーションがある──その曖昧な領域こそが、歴史を面白く、深くしているのかもしれませんね。
|
|