
フランス革命(1789–1799)は、自由と平等を求めた民衆の運動がフランス社会を大きく変革した激動の時代です。その流れを時系列順にまとめると以下のようになります。
革命はバスティーユ牢獄襲撃(1789年7月14日)をきっかけに始まりました。この事件を機に王政への反発が高まり、同年8月には封建的特権の廃止と人権宣言の採択が行われ、旧体制(アンシャン・レジーム)の崩壊が進みます。
1791年には1791年憲法が制定され、フランスは立憲君主制に移行します。しかし、国王ルイ16世がオーストリアへの亡命を企てた「ヴァレンヌ逃亡事件」が民衆の不信を招き、国王の立場は弱体化しました。
1792年8月10日のテュイルリー宮殿襲撃により王政が事実上崩壊。同年9月には国民公会が設立され、王政を廃止して共和制が宣言されます。翌年、国王ルイ16世が処刑され、フランスは新たな局面を迎えます。
ジャコバン派が主導権を握り、反革命派を弾圧する恐怖政治が展開されました。この期間に多くの人々がギロチンで処刑される一方、徴兵制や社会的改革が進められました。しかし、1794年のロベスピエールの失脚により恐怖政治は終焉を迎えます。
恐怖政治の後、新たに総裁政府が設立されましたが、経済的混乱や汚職が広がり、不安定な政権運営が続きました。
1799年11月9日、ブリュメール18日のクーデターによりナポレオン・ボナパルトが実権を握り、革命は終結します。ナポレオンは第一統領としてフランスを統治し、安定と改革をもたらしました。
ブリュメール18日のクーデター
フランス革命の終わりを象徴する「ブリュメール18日のクーデター」を描いた絵画
(出典:Creative Commons Public Domainより)
以上がフランス革命のおおまかな流れになります。フランス革命は、絶対王政の崩壊と共和制の成立を経て、近代的な国家の基盤を築いた歴史的な転換点だったのです。この流れを押さえれば、革命の全体像が見えてきますね。