ロックのフランス革命への関与とは?

ロックのフランス革命への関与とは?

ジョン・ロックは17世紀イギリスの哲学者で、自然権や政府契約論を唱えた。自由主義思想が啓蒙時代のフランスで受容され、その理念が革命の政治理論につながったのである。本ページでは、フランス革命の思想源流や政治哲学の受容過程を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

ジョン・ロックはイギリスの思想家として有名ですが、彼の名前がフランス革命の文脈でも語られることがありますよね。でも、ロックが生きていたのはフランス革命よりずっと前の時代ですし、イギリス人です。そんな彼が、どうしてフランス革命に影響を与えたと言われているのか──ロックの思想とフランス革命のつながりについて詳しく知りたいです。



ジョン・ロックは、フランス革命が起こる1世紀近く前に亡くなったイギリスの哲学者ですが、彼の政治思想は革命の理念に深く根を張っていました。とくに人間の権利政府の正統性に関する考え方は、フランスの啓蒙思想家たちに大きな影響を与え、「主権は国民にある」という革命の基本理念の土台をつくったのです。ロックは、まさに「革命の設計図」を書いた人物とも言えます。


「抵抗する権利」を思想にした先駆者

ロックの代表作『統治二論』(1690年)では、人間は生まれながらにして「生命・自由・財産」の権利を持つと説かれています。この「自然権」の考え方は、当時の絶対王政に対する痛烈な批判でもありました。


さらにロックは、政府とは市民が自分たちの権利を守ってもらうために結んだ契約にすぎず、その政府が契約を破れば、市民には「政府を変える権利=抵抗権」があると述べています。


この「抵抗権」の概念こそが、フランス革命において王政を打倒し、共和制を打ち立てる思想的根拠となったのです。ルソーがフランス革命の「心」なら、ロックは「設計思想」に近い存在だったと言えるでしょう。


啓蒙思想家たちを通してフランスへ渡ったロックの影響

ロックの著作は18世紀のヨーロッパ中で読まれ、特にフランスのモンテスキューヴォルテールといった啓蒙思想家たちに大きな影響を与えました。彼らはロックの思想を自国の文脈に翻訳し、それぞれ三権分立言論・信教の自由といった理念へと発展させていきます。


こうした啓蒙思想の広がりは、やがてフランス革命前夜の知的土壌となり、人権宣言(1789年)にもはっきりとロックの影響が見られます。


たとえば、宣言第2条には「自然で奪うことのできない人間の権利」として、自由・所有権・安全・圧政への抵抗」が列挙されていますが、これはまさにロックの「生命・自由・財産・抵抗権」の翻案と言えます。


John Locke by Godfrey Kneller

ジョン・ロック(1632–1704)
ゴッドフリー・ネラーによる肖像画。啓蒙時代の重要な思想家とされ、彼の社会契約論や権利思想はフランス革命の理念に影響を与えた。
(出典:Creative Commons Public Domainより)


革命家たちが「自由の理論家」として引用した

フランス革命期、多くの革命家や議員がロックの名前を挙げ、市民の権利と政治の正統性を語るうえで彼の思想を拠り所にしていました。


例えば、革命初期に活躍したラファイエット侯爵は、人権宣言の起草にあたってロックの影響を公然と認めています。また、アメリカ独立宣言(1776年)に強く影響を与えたのもロックの「自然権思想」ですが、それが再びフランスに逆輸入されるかたちで、革命に取り込まれていったのです。


つまり、ロックは直接関与していないどころか、国籍も時代も違うのに、自由・権利・政府に対する新しい考え方を提供したことで、革命家たちの理論的な武器となったわけです。


このようにジョン・ロックは、思想という形でフランス革命を支えた「知の先導者」でした。


彼の自然権思想と社会契約論は、市民の手で政治を変えるという考え方の原点となり、フランス革命だけでなく、以後の世界の民主主義の基盤を築いたのです。
彼の影響力は、一冊の本が時代を動かす力を持ちうることを教えてくれますね。