
おっしゃる通り、九月虐殺事件(Massacres de Septembre)は、1792年9月2日から6日にかけて、フランス革命期のパリで起きた民衆による大規模な虐殺事件ですね。この事件は、フランス国内の混乱と恐怖が頂点に達した結果として発生しました。
背景には、対外戦争の緊張と国内の反革命派への不信感がありました。1792年4月にフランスがオーストリアに宣戦布告した後、プロイセン軍がフランス領内に侵攻し、8月にはヴァルミーの戦いを目前に控えていました。このような状況下で、フランス革命に反対する王党派や聖職者が密かに敵国と手を結び、革命政府を裏切るのではないかという疑念が広がりました。
加えて、8月10日のテュイルリー宮殿襲撃で王政が実質的に崩壊した後も、多くの王党派や反革命分子がパリの牢獄に収監されていました。革命政府はこれらの囚人が反乱を起こし、パリ内部でプロイセン軍と連携する可能性を恐れました。この不安がパリ市民の間で過熱し、「事前に処罰しなければ、革命が危機に陥る」という過激な考えが民衆の間に広がったのです。
その結果、民衆の暴徒化が進み、数千人が収容されていた牢獄が襲撃されました。裁判を経ることなく、約1,200人の囚人が殺害され、その中には反革命派だけでなく、無実の一般市民や聖職者も含まれていました。
1792年9月の虐殺事件
1792年9月にパリで発生した虐殺を描いた絵画。この期間中に無差別に囚人が殺害され、フランス革命の恐怖政治の一環として行われた。この作品は、選挙権を巡る政治的な緊張がどれほど激化していたかを示している。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
九月虐殺事件は、恐怖と疑心暗鬼が生んだ悲劇であり、革命期の混乱と民衆心理の極端な一面を象徴しています。この事件は、革命が理想と恐怖の間で揺れ動いていたことを物語る出来事だったといえるでしょう。