フランス革命でなぜ人権宣言が生まれたの?

フランス革命でなぜ人権宣言が生まれたの?

フランス革命では旧体制の不平等を是正し、市民の権利を明確化する必要があった。啓蒙思想の影響とアメリカ独立革命の先例が、その制定を後押ししたのである。本ページでは、フランス革命の人権宣言成立の背景を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命を勉強していると、「人権宣言」がとても大切な出来事として出てきますよね。でも、そもそもなぜそのタイミングで「人は自由で平等な権利を持つ」みたいな宣言が必要だったんでしょうか? 単なるスローガンではなく、なぜ国として正式にそれを文章にまとめようとしたのか、その背景や目的について詳しく知りたいです!




「人権宣言(『人間と市民の権利の宣言』)」が生まれた背景には、フランス社会が長年抱えてきた不平等と特権構造への強烈な不満と、新しい政治理念への強い渇望がありました。つまり、人々が「どう生きるべきか」「国家は誰のためにあるのか」という根本的な問いに対して、はっきりと答えようとしたのがこの宣言だったのです。


旧体制への反発から生まれた「権利」の声

フランス革命前の社会は、第一身分(聖職者)・第二身分(貴族)・第三身分(平民)という身分制度に基づいて成り立っていて、税金の負担や発言力も極端に偏っていました。人口の大多数を占める第三身分は、重税に苦しみながらも政治にはほとんど参加できなかったのです。


1789年、三部会の開催をきっかけに「第三身分こそが国民だ!」という意識が一気に高まり、国民議会の結成とともに、まさに「国民のための国」を目指す動きが始まります。


そんな中で出てきたのが、「すべての人が本来持っている権利を、国家が認めなければならない」という発想。特定の身分や特権に左右されず、誰もが平等で自由な存在であるべきだという考えが、人権宣言として形になったのです。


啓蒙思想とアメリカ独立の影響

人権宣言の背景には、17~18世紀の啓蒙思想の影響が色濃くあります。ルソーやロック、モンテスキューなどの思想家たちは、自然権・人民主権・権力分立などの原理を通じて、「理性」によって社会をより良くできるという信念を広めました。


さらに大きかったのが、アメリカ独立戦争(1775~1783年)の影響です。イギリスの支配に対してアメリカの植民地が立ち上がり、1776年に『アメリカ独立宣言』が発表されました。そこでは「すべての人は平等に創られており、生まれながらにして生命・自由・幸福の追求の権利を持つ」と高らかにうたわれています。


この理念がフランスの改革派たちにとって大きなインスピレーションとなり、「フランスにも国民の権利を明文化する宣言が必要だ」と考えられるようになったのです。


アメリカ独立宣言

アメリカ独立宣言、1776年7月4日/ジョン・トランブル作
アメリカの独立宣言が承認された瞬間を描いた絵画。この歴史的な出来事は人権宣言にも影響を与えた。
(出典:Creative Commons Public Domainより)


人権宣言が果たした役割とは?

1789年8月26日に採択された『人間と市民の権利の宣言』は、ただの理想論ではなく、フランスという国家が公式に採用した基本理念でした。内容はわずか17条から成り立っていますが、そこには「法の前の平等」「言論・信教の自由」「財産権の保障」「権力の源は国民にある」といった、現代にも通じる原則が詰まっています。


この宣言が果たした最大の役割は、革命の正当性を示すことでした。「王様を倒したいから倒す」のではなく、「すべての人の自由と平等を守るために行動する」という正当な目的があることを、国民も、そして世界にも伝えたのです。


そしてこの宣言は、フランス革命が単なる国内の政変ではなく、人類全体に向けた新しい社会の提案だったことを象徴する出来事でもありました。


このように、人権宣言は単に「理想を掲げた文章」ではなく、旧体制に苦しんできた人々の声を政治の中心に据えた歴史的な文書でした。


そしてその理念は、のちのヨーロッパ各国の憲法や、世界人権宣言、現代の人権意識の礎として受け継がれていきます。 フランス革命は「王を倒す」ためだけではなく、「人が人として尊重される社会をつくる」ための戦いだった──それを象徴するのが、この人権宣言なのです。