フランス革命期に生まれた憲法の種類と違いとは?

フランス革命期に制定された憲法の種類と違いが知りたい!

フランス革命期には1791年、1793年、1795年の憲法が相次いで制定された。それぞれ立憲君主制、急進的共和制、穏健共和制と性格が異なったのである。本ページでは、フランス革命期の憲法の種類と特徴を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命の時代って、何度も憲法が作られていたと聞きました。でもそれぞれの憲法がどんな内容で、どう違っていたのか、ちょっと混乱します……!
「1791年憲法」「1793年憲法」「1795年憲法」など、名前は聞くけれど、実際に何を目指していたの? そしてそれぞれの憲法がフランス社会にどんな影響を与えたのか、順を追って教えてください!



フランス革命期には、革命の進行とともに複数の憲法が次々に制定され、それぞれが当時の社会状況や政治のあり方を色濃く反映していました。
憲法は革命の「顔」ともいえる存在で、理想と現実の間で揺れ動くフランスの葛藤が、そこにくっきりと刻まれているんです。


憲法名 特徴 政治体制 主な内容
1791年憲法 立憲君主制 立法議会による立憲君主国 国王は外交権と戦争の宣言権を持ち、立法権は立法議会が担う。選挙権は納税額によって制限。
1793年憲法 民主共和制 一院制の国民公会 普通選挙により男性市民に選挙権を与える。国王の廃止と共和国の樹立。直接民主主義的な要素を導入。
1795年憲法 共和制の確立 五人の執政官による執政政府 財産要件を持つ選挙権。立法府は二院制で、年齢と財産による区分が設けられる。政治的安定を図るための体制。


立憲君主制を目指した「1791年憲法」

最初に制定されたのが1791年憲法。この憲法は、絶対王政を終わらせ、立憲君主制に移行することを目的としたものでした。
国王ルイ16世は象徴的な存在として残されつつも、立法権は一院制の立法議会が握り、国民の代表が政治を担うことになります。


ただしこの時点では選挙権は「財産」を持つ男性に限定されており、完全な民主制とは言えませんでした。
また、王の拒否権なども残されていたため、「革命は中途半端」と不満を持つ人々も。


その不満が噴き出したのが、王のヴァレンヌ逃亡事件(1791年)で、この憲法体制はわずか1年で瓦解してしまいます。


1791年憲法

1791年憲法/作者不明
聖職者、貴族、平民が1791年憲法を共同で鍛造する様子を描いた作品。フランス革命の精神とその政治的成果を示している。(出典:Creative Commons Public Domainより)


急進的な民主制を掲げた「1793年憲法」

次に登場するのが、恐怖政治の真っただ中に国民公会によって採択された1793年憲法です。
この憲法は人民主権直接民主制を大々的に掲げ、成人男性すべてに選挙権を与えるという、当時としては極めて先進的な内容でした。


「生存権」や「教育の権利」なども明記され、社会的平等を強く意識した革命精神の結晶とも言える憲法でしたが──実はこれ、実施されなかったんです。


なぜなら、内乱や対外戦争が激化していた時期だったため、ロベスピエールらは「今は憲法よりも国家の防衛が先」と判断し、非常措置として運用停止に。
皮肉にも、最も民主的とされるこの憲法は、現実の政治では一度も使われなかった「幻の憲法」となりました。


安定と統制を目指した「1795年憲法(憲法年Ⅲ)」

ロベスピエールの失脚後、フランスは恐怖政治の反動としてより穏健な政治体制を模索します。そこで制定されたのが、1795年憲法です。
この憲法では財産制限付きの男性普通選挙が導入され、実質的にブルジョワ層の政治参加を優遇するかたちに。


また、二院制の議会と、5人の総裁からなる執行部(総裁政府)を設けることで、権力が集中しないよう設計されました。
とはいえ、政局は不安定で、クーデターや反乱が相次ぎ、民衆の生活改善にはなかなかつながりませんでした。


この体制も長続きせず、1799年にナポレオンのクーデター(ブリュメール18日の政変)によって崩壊。
その後、ナポレオンによる新しい憲法(1799年憲法)が制定され、事実上の独裁体制へと突入していきます。


このように、フランス革命期には革命の進行とともに憲法も次々に変わり、そのたびに政治のあり方や「市民」の定義も変化していきました。


1791年=立憲君主制の試み、1793年=急進的な民主主義、1795年=安定重視の折衷案と、それぞれの憲法は時代の理想と現実を映し出しています。
そしてその全てが、後の近代憲法や民主政治の土台となっていくのです。