
フランス革命って自由や平等を求めた運動なのに、どうしてナポレオンの第一帝政に繋がったの?その理由を教えて!
フランス革命(1789–1799)は、民主化を目指した運動でしたが、最終的にはナポレオン・ボナパルトによる第一帝政(1804年)が成立しました。その理由は、大きく以下の3つに分けられます。
フランス革命の後、フランスは短期間で立憲君主制、共和制、総裁政府といった政体が次々に変わり、社会や経済は混乱しました。特に恐怖政治(1793–1794)の記憶は、人々に民主化への不安を抱かせる要因となり、安定した統治を求める声が高まりました。この中で、軍事的成功を収めていたナポレオンが、強力なリーダーとして支持を集めました。
ナポレオンは、革命戦争での勝利により国民的英雄となり、1799年のブリュメール18日のクーデターで第一統領に就任しました。彼はその後、法整備や経済改革を進め、フランス国内の安定を実現しました。こうして国民の支持を背景に、1804年には皇帝に即位し、第一帝政を成立させたのです。
ナポレオンは、革命の理念である「自由」「平等」「友愛」を部分的に保ちながら、中央集権的な体制を築きました。彼は「革命の成果を守る存在」として権力を主張し、多くの人々がそれを受け入れました。このように、民主化を目指した革命が、最終的に帝政という形で新たな権威を生み出したのです。
以上のように、フランス革命が第一帝政に繋がったのは、混乱を収拾し、安定を求めたフランス社会がナポレオンを支持した結果なのです。これにより、革命の理念は一部残りつつも、安定した中央集権国家へと変化しました。
ナポレオンの戴冠式/ジャック=ルイ・ダヴィッド作
1804年、ノートルダム大聖堂で行われたナポレオン・ボナパルトの戴冠式を描いた絵画。第一帝政成立の瞬間である
(出典:Creative Commons Public Domainより)