
フランス革命では、最初に開かれた三部会から始まって、いくつもの議会や政府が次々と形を変えていきました。国民議会や国民公会、総裁政府といった名前は聞いたことがありますが、実際にどんな順番で成立し、どのように移り変わっていったのか──革命の流れを追えるように整理して教えてほしいです。
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フランス革命では、1789年から1799年の約10年間にわたり、政体と議会の形が何度も変わりました。以下は主要な議会・政府が成立した順番とその特徴です。
財政危機の打開を目的に、聖職者(第一身分)・貴族(第二身分)・平民(第三身分)の代表が集まった会議。ヴェルサイユ宮殿で開かれましたが、身分別投票に不満を持った第三身分が離脱し、後の国民議会成立へとつながります。
1789年ヴェルサイユで開かれた三部会の開会式
1789年5月5日にヴェルサイユ宮殿で行われた三部会の開会式を描いた絵画。この集会はフランス革命の発火点となり、国の重要な政治的転換点を象徴している。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
第三身分が「国民こそが主権者」と宣言して設立。6月20日にはテニスコートの誓いを行い、憲法制定まで解散しないと誓いました。王権と議会の対立が深まり、バスティーユ襲撃や封建特権の廃止へと進みます。
テニスコートの誓い/アウグスト・クーダー作
1789年6月20日にテニスコートで行われた誓いの場面を描いた絵画。この作品は国民議会のメンバーが集まり、フランスに憲法を制定するまで解散しないと誓った歴史的瞬間を表現しており、フランス革命の象徴的なシーンとされる。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
国民議会が憲法制定のために改組された議会。1791年憲法を制定し、立憲君主制を導入しました。国王の逃亡未遂(ヴァレンヌ事件)で王政への不信感が拡大します。
新憲法下で選ばれた議会。王政を維持しつつ改革を進めようとしましたが、対外戦争や八月十日事件によって王政は事実上崩壊します。
王政廃止と第一共和政を宣言。ルイ16世の処刑、恐怖政治、対外戦争など激動の時期。ジャコバン派とジロンド派の対立が深まりました。
穏健共和派による新体制。五人の総裁が行政を担いましたが、腐敗や軍事的混乱で支持を失い、ナポレオンのクーデターを招きます。
1799年11月9日(革命暦ブリュメール18日)、ナポレオンがクーデターで総裁政府を倒し、統領政府が成立。ここでフランス革命は事実上終結しました。
ブリュメール18日のクーデター
総裁政府、ひいてはフランス革命の終わりを象徴する「ブリュメール18日のクーデター」を描いた絵画
(出典:Creative Commons Public Domainより)
このように、フランス革命期の議会と政府は三部会 → 国民議会 → 制憲議会 → 立法議会 → 国民公会 → 総裁政府 → 統領政府の順で移り変わりました。それぞれの変化は、民衆の不満・戦争・指導者の失脚といった要因が積み重なった結果でした。
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