フランス革命期の「公安委員会」の目的とは?

フランス革命期の「公安委員会」の目的とは?

公安委員会は革命政府の非常機関として設置され、反革命の鎮圧や戦争遂行を統括した。中央集権的な権力集中で迅速な対応が可能となり、その体制が恐怖政治につながったのである。本ページでは、フランス革命の統治機構や非常権限の実態を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命を学んでいる中で、「公安委員会」という機関の存在を知りました。名前だけ聞くと現代の治安機関みたいに思えるんですが、革命の最中にどうしてそんな組織が必要だったのか、どんな目的で設立されて、実際にどんなことをしていたのかがよくわかりません。
特に、ジャコバン派や恐怖政治と関係があると聞くと、ちょっと怖い印象もあります…。この公安委員会って、フランス革命の中でどんな意味を持っていたんでしょうか?



フランス革命期の「公安委員会」は、1793年にジャコバン派が主導で設立した、いわば革命を守るための非常事態政府のような存在です。
当時のフランスは、外国からの侵略と国内の反乱というダブルパンチに直面しており、「このままだと革命が潰されてしまう!」という危機感が高まっていました。


そこで立ち上げられたのが、国家の安全を確保するための強力な中央組織──それが公安委員会なんです。


革命政府の“危機管理センター”として生まれた

公安委員会が設立されたのは、1793年4月のこと。フランスは当時、イギリスやオーストリアなどの外国との戦争に加え、国内では王党派による反乱や、食糧危機による市民の不満が爆発寸前という状態でした。


革命政府はこうした複雑な状況に迅速に対応するため、行政・軍事・治安のすべてを指揮できる強大な権限を公安委員会に集中させます。
この組織は、もともと「革命を守る」という明確な目的のもとに誕生し、議会や他の委員会よりも優先される存在となりました。まさに、緊急時にフル稼働する国家の司令塔というイメージです。


Committee of Public Safety

フランス革命期の公安委員会(共和暦2年)
フランス革命の最も激動の時期に設立された公安委員会の役割を示すイメージ。この委員会は革命政府の権力集中を推進し、内外の敵に対抗するための強硬な措置を実施した。
(出典:Creative Commons Public Domainより)



ロベスピエールのもとで徹底的な弾圧が進められた

公安委員会の中心人物として有名なのがロベスピエールです。彼は「革命の敵はすべて排除するべきだ」との考えから、反対派や“反革命的”とみなされる人物を次々と裁判にかけ、ギロチン台へと送っていきました。


この時期(1793〜94年)は、いわゆる恐怖政治と呼ばれる時代で、言論の自由や法の手続きよりも、革命の生存を最優先する姿勢が前面に出ます。
市民の中にも密告が奨励され、「ちょっとした発言が命取りになる」空気が漂うように。そうした状況の中で、公安委員会は事実上の国家権力の中枢として動いていきました。


それでも多くの支持を集めたのは、「革命を守るために必要なことだ」と多くの人が信じていたからです。国内外の敵に包囲されていた当時、過激な手段が現実的な選択肢として受け入れられていたのです。


公安委員会の終焉とその後の影響

しかし、公安委員会の強権的な手法は、やがて多くの反発を招くようになります。特にロベスピエールの独裁色が強まると、「いつか自分も粛清されるのでは…」という恐怖が広がり、1794年7月、テルミドール9日のクーデターで彼は失脚・処刑されます。


それをきっかけに公安委員会の権限は大きく縮小され、恐怖政治は終焉を迎えることになります。
ただ、公安委員会の存在は「非常時にどこまで権力を集中させるべきか」という難しい問いを後の時代に投げかけました。 国家の安定と個人の自由のバランス──それは今の時代においてもなお、議論の的になるテーマです。


このように公安委員会は、フランス革命という激動の時代において革命の防衛と国家の存続を担った、強力かつ特異な機関でした。
その急進的な行動は、多くの成果と犠牲を同時に生み、近代政治における「非常権限」のあり方を考える出発点ともなったのです。