フランス革命の人権宣言を起草したのは誰?

フランス革命の人権宣言を起草したのは誰?

フランス革命の人権宣言はラファイエット侯爵を中心とする議会委員会が起草した。啓蒙思想の影響を受け、自由と平等の原則を明文化したのである。本ページでは、フランス革命期の人権宣言の起草者を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命の中で採択された「人権宣言」って、すごく有名な文書ですが、いったい誰が書いたんでしょうか? 革命の精神を象徴する内容だけに、かなり重要な人物が関わっていそうですよね。あと、その人がどんな立場で、どんな考えのもとにこの宣言を作ったのかも気になります。ぜひ背景も含めて教えてください!



「すべての人間は自由かつ平等な権利を持つ」という有名なフレーズで始まる人権宣言(人間と市民の権利の宣言)。これはフランス革命を象徴する文書のひとつであり、その後の世界にも大きな影響を与えた歴史的な文書です。


この宣言を起草したのは、革命の初期に活躍した貴族出身の軍人、ラファイエット侯爵(マリー=ジョゼフ・ド・ラ・ファイエット)です。アメリカ独立戦争にも参加した経験を持ち、その考え方が人権宣言の土台になったと言われています。


人権宣言を書いたのはラファイエット侯爵

人権宣言が採択されたのは、1789年8月のこと。ちょうどフランス革命が始まったばかりのころで、まだ王政が完全には崩れていなかった時期です。このとき、新しく設置された国民議会が、「新しい社会をどう築いていくか」の基本的な価値観を示すために、人権宣言を作成しました。


その草案をまとめたのが、ラファイエット侯爵です。彼はもともと貴族でしたが、アメリカ独立戦争に参加して「自由」や「平等」といった理念に強く共感し、帰国後はフランスでも改革を求める声を上げるようになります。


ラファイエットが起草した草案には、当時のアメリカやイギリスの思想を取り入れつつも、「国民こそが主権を持つ」という新しい政治のあり方がしっかりと書かれていました。


Marquis De Lafayette by Ary Scheffer

人権宣言を起草したラファイエット侯爵の肖像画/アリ・シェフェール作、1822年作
(出典:Creative Commons Public Domainより)


アメリカの経験がフランスに持ち込まれた

ラファイエットは、若くしてアメリカ独立戦争に参加し、ジョージ・ワシントンの側近としても活躍しました。この経験が、彼の考え方に大きな影響を与えたんです。


アメリカではすでに独立宣言(1776年)が出されていて、そこには「すべての人は平等に造られている」といった考えが記されていました。ラファイエットはこのアメリカの精神をフランスにも持ち込み、自由や平等、言論の自由、財産権など、個人の基本的な権利を守るための文書として人権宣言を構想したのです。


また、彼はこの宣言の起草にあたって、当時アメリカ駐仏大使だったトマス・ジェファーソンからの助言も受けていたと言われています。つまり、フランスの人権宣言は、アメリカとヨーロッパの思想が交わって生まれた国際的な成果でもあったんですね。


人権宣言がもたらしたものとは?

ラファイエットが起草し、国民議会によって採択された人権宣言は、王や貴族の「特権」に対して、「すべての人間は生まれながらにして自由で平等である」と真っ向から主張した、当時としては革命的な文書でした。


この宣言をきっかけに、封建制度の廃止や、法の下の平等、信教の自由などが進められていきます。ただし、最初の段階では女性や奴隷などは対象外とされており、完全に「すべての人」に平等だったとは言えません。それでもこの宣言は、その後の近代憲法や国際人権規約にも影響を与える、大きな一歩になったことは間違いありません。


ラファイエット自身は、その後も立憲君主制の実現を目指しましたが、革命が過激化する中で次第に政治の表舞台から退いていくことになります。


このように、フランス革命の人権宣言を起草したのは、貴族でありながら民衆の自由を信じたラファイエット侯爵でした。


彼がアメリカで体験した「市民による政治」の精神は、フランスにも大きな影響を与え、革命の方向性を決定づけるきっかけにもなります。
人権宣言は、ラファイエットが夢見た「自由で平等な社会」をかたちにした、象徴的なメッセージだったんですね。