
フランス革命がヨーロッパ全体に影響を与えたって聞いたけど、隣国のイギリスはどう反応したの?具体的にどんな関係があったのか教えて!
イギリスは、フランス革命(1789–1799)に対して政治的・社会的に大きな関心を示しましたが、その反応は複雑でした。当初は革命を支持する声もありましたが、革命が急進化するとともに対立が強まり、最終的には軍事介入にも発展しました。その背景を詳しく見てみましょう。
まず、革命初期のイギリスでは、啓蒙思想の影響を受けた自由主義者や改革派がフランス革命を歓迎しました。特に、ウィリアム・ウィルバーフォースやトマス・ペインのような思想家たちは、王政や封建的な特権の廃止を支持し、「自由や平等の理想」に共感を示しました。一方で、エドマンド・バークは著書『フランス革命の省察』(1790年)で革命を強く批判し、暴力や混乱を伴う革命の危険性を警告しました。このように、イギリス国内の反応は分裂していました。
エドマンド・バークの肖像
著書『フランス革命の省察』で革命の理想と現実の間の矛盾を鋭く指摘した。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
次に、革命が急進化し、1793年にルイ16世の処刑やフランス第一共和政の成立が起こると、イギリス政府はフランス革命を脅威と見なすようになります。ウィリアム・ピット首相の政権下では、革命思想の拡散を防ぐため、言論や集会の自由を制限する法案が相次いで可決されました。また、反革命の姿勢を強化し、フランスと対立する王政諸国との連携を深めました。
さらに、イギリスはフランス革命戦争(1792–1802)に直接関与しました。特に1793年以降、イギリスは反革命連合軍に加わり、フランスとの戦争に突入しました。この軍事介入は、ヨーロッパの秩序を守るためのものとされましたが、長期にわたる戦争はイギリス国内の財政や社会にも影響を与えました。また、イギリス海軍はフランスの海上封鎖を行い、フランスの経済を圧迫する重要な役割を果たしました。
イギリスはフランス革命に対して、初期には一部の支持を示しながらも、急進化する革命を脅威と捉え、反革命の先頭に立つようになりました。こうした反応は、イギリス国内外の政治情勢に大きな影響を与えたといえるでしょう。