
フランス革命って「自由」とか「平等」っていう明るいイメージもあるけど、「残酷だった」とも言われるよね。どうしてそんな評価があるのか、その理由を教えて!
フランス革命(1789–1799)は、自由や平等といった理想を掲げた一方で、暴力や混乱を伴う出来事が多く発生しました。そのため、革命の中には「残酷」と評価される側面があるのも事実です。以下にその主な理由を挙げます。
革命期の最も残酷な時期として挙げられるのが恐怖政治(1793–1794)です。この時期、ジャコバン派が主導権を握り、反革命派や政府に反対する人々を次々と処刑しました。ギロチンはその象徴的な道具であり、王政支持者だけでなく、無実の人々や元の仲間である革命家も犠牲になりました。総計で約16,000人が公式に処刑され、さらに多数の犠牲者が即決裁判や内戦で命を落としたとされています。
パリ、カルーゼル広場(Place du Carrousel)で行われたギロチンによる最初の処刑の様子
(出典:Creative Commons Public Domainより)
フランス西部のヴァンデー地方では、革命政府に反発した農民たちが蜂起しました。このヴァンデー反乱(1793–1796)の鎮圧では、政府軍が民間人を含む多数の反乱者を虐殺し、村を焼き払うなど残虐な手段を取ったことで知られています。ここでの死者は数十万人に上るとも言われ、革命政府の暴力的な統治の一例となっています。
ヴァンデー反乱における虐殺
ヴァンデーの反乱中に共和国軍によって行われた虐殺を描いた絵画。この反乱はフランス革命の一部として発生し、多くの無辜の民衆が命を落とした。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
革命初期のバスティーユ襲撃や八月十日事件などでは、民衆が武装し、国王派や貴族を攻撃しました。特に1792年9月の九月虐殺では、革命派が牢獄に収監されていた反革命派を襲い、裁判も行わずに約1,200人を殺害しました。こうした民衆の暴力も、革命の残酷な一面を象徴しています。
1792年9月の虐殺事件
1792年9月にパリで発生した虐殺を描いた絵画。この期間中に無差別に囚人が殺害され、フランス革命の恐怖政治の一環として行われた。この作品は、選挙権を巡る政治的な緊張がどれほど激化していたかを示している。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
革命期には、ヨーロッパ諸国との戦争や国内での反乱が相次ぎました。これらの戦争や内戦により、多くの兵士や民間人が犠牲になり、フランス社会全体が荒廃しました。戦争の中での略奪や殺戮もまた、革命が残酷とされる一因です。
アルコレの戦い/Horace Vernet 作
1796年、フランス革命戦争中のアルコレ橋の戦いを描いた絵画。内部抗争が対外戦争に発展したことで、犠牲者数も拡大した。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
フランス革命は、人類史に残る理想的な変革の試みであった一方、その過程で多くの命を奪い、暴力が支配する場面も多かったため、「残酷」と評価されることがあるのです。その二面性を理解することで、革命の本質がより深く見えてきますね。