
フランス革命で「宗教の自由」が保障されたと聞きますが、具体的にプロテスタントにとってはどんな変化があったのでしょうか? もともとカトリックが国教のような存在だったフランスで、プロテスタントはどんな立場に置かれていたのか、そして革命によってその権利や生活がどう改善されたのか──ルイ14世時代の弾圧との違いなども踏まえて、詳しく教えてください!
|
|
フランス革命は、プロテスタントにとって長く続いた差別と抑圧からの脱却を意味する大きな転機となりました。
それまでのフランスは、ほぼカトリック一色の国家で、他の宗教は政治的にも社会的にも厳しく制限されていたんです。
特に17世紀後半、ルイ14世によるナントの勅令(プロテスタントの信仰を一部認めた法)の廃止以降、プロテスタントは非合法とされ、多くが国外に逃れるか、地下で信仰を守らざるを得ない状況に追い込まれていました。
1685年、ルイ14世がナントの勅令を廃止すると、プロテスタント(特にユグノーと呼ばれるカルヴァン派)は公式に信仰を禁じられる立場になります。
教会は閉鎖され、信者は改宗を迫られ、拒否すれば逮捕・投獄・追放といった処分が待っていました。
およそ20万人とも言われるユグノーが国外へ亡命し、国内に残った者も隠れ信者として生きるしかなかったのです。
フランス社会において、プロテスタントは「見えない存在」として封じ込められていたわけですね。
この背景には、王権とカトリック教会が密接に結びつき、「一つの信仰、一つの王、一つの法」という絶対王政の理念があったのです。
ルイ14世(1638–1715)
絶対王政を築いた「太陽王」として知られるフランス国王。厳格なカトリックであり、ナントの勅令を廃止して、プロテスタントへの弾圧を再開してしまった。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
1789年、フランス革命の最中に「人権宣言」が発表され、その第10条で「宗教的信念の自由は妨げられない」と宣言されます。
この条文は、まさにプロテスタントにとっての歴史的解放でした。
1791年にはプロテスタントに完全な市民権が付与され、教育や職業、政治参加といった社会的な制限も撤廃されていきます。
それまでは信仰を理由に公職に就けなかった人々が、革命以降は市民として平等に扱われるようになったんです。
これは単なる「寛容」ではなく、「国家としての宗教中立」の方向へ進もうとするフランスの新しい姿勢を示していました。
革命後、教会財産の没収や聖職者民事基本法の導入でカトリック教会の力が大きく削がれたことも、プロテスタントにとっては好都合でした。
カトリックが「特権宗教」として君臨していた状況が崩れ、信仰の自由な競争が可能になっていったからです。
また、プロテスタントの教会も徐々に再建され、礼拝が合法に行えるようになります。特に地方都市や南フランスでは、信者のコミュニティが息を吹き返し、新しい宗教的ネットワークが形成されていきました。
もちろん、カトリック多数派のなかで完全な平等がすぐに実現したわけではありませんが、革命によって法の下の平等という土台が築かれたのは間違いありません。
このようにして、プロテスタントは長い弾圧の歴史からようやく解き放たれ、フランス市民としての新しいスタートを切ることができたのです。
このように、フランス革命はプロテスタントにとって「抑圧の終わりと自由のはじまり」を意味する出来事でした。
ルイ14世による弾圧で追われた信仰が、革命の理念によって市民の権利として保障される──その流れは、フランスにおける宗教の多様性と寛容の礎となっていきます。
革命を通して、信仰が「国家が決めること」から「個人が選ぶこと」へと変わっていった。その変化は、まさにプロテスタントの人々にとって長年求め続けた自由の実現だったのです。
|
|