フランス革命期の日本は何時代?

フランス革命期の日本は何時代?

フランス革命期、日本は江戸時代中期から後期にあたっていた。鎖国体制のもとで西洋の動向は限定的にしか伝わらなかったのである。本ページでは、フランス革命と同時代の日本の状況を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命が起きた頃、日本はどんな時代だったの? ヨーロッパでは王政を倒す大事件が進行していたけど、日本はその時どんな政治や社会の状況にあったのか、歴史の流れを照らし合わせて教えて!



フランス革命が始まったのは1789年のこと。日本でいうと江戸時代のちょうど真ん中あたり、天明の終わりから寛政のはじめにあたります。その頃の将軍は11代・徳川家斉で、実際に政治の手綱を握っていたのは老中の松平定信でした。


国内の政治と社会

この時期の日本は、まだ鎖国政策を続けていて、幕府の支配体制がしっかり残っていました。フランスや他の西欧諸国で何が起きているのか、直接は伝わりにくかったんですが、長崎を通じてオランダから入ってくる書物や情報を通じて、一部の知識人たちは海外事情を知ることができたんです。


松平定信は1787年から寛政の改革を打ち出し、財政の立て直しや倹約の徹底、さらに学問の統制(いわゆる寛政異学の禁)などで幕府の威信を取り戻そうとしました。つまり、日本ではフランスのように民衆が一斉に立ち上がって政治を揺るがすのではなく、むしろ「秩序を締め直して安定させる」という方向に動いていたんですね。


松平定信の肖像(自画像)

松平定信(1759 - 1829)
江戸後期の老中として寛政の改革を主導した白河藩主で、日本の近世から近代への変革を促進した。

出典:Matsudaira Sadanobu (self-portrait) / Wikimedia Commons Public domainより


社会状況と国際環境

一方で、日本の農村社会には天明の大飢饉(1782~1788年)の爪あとがまだ色濃く残っていました。冷害や凶作で食べ物が足りず、各地で一揆や打ちこわしが相次いで起こったんです。人々の暮らしは本当に厳しく、経済的な困窮は深刻そのものでした。


それでも、日本ではフランスのように「市民革命」へと発展することはありませんでした。幕府が武力や制度を駆使して秩序を維持し、体制そのものが揺らぐことはなかったからです。


ちょうど同じ頃、海外ではアメリカ独立戦争(1775~1783年)フランス革命といった世界を揺るがす出来事が立て続けに起きていましたが、日本は鎖国の殻に包まれたまま。そのため、こうした動きの直接的な影響はほとんど及ばなかったんですね。


天明の大飢饉の人々を描いた図

天明の大飢饉(1782-1788)の民衆
冷夏と1783年の浅間山噴火が重なって米が欠乏し、東北を中心に飢えが広がった。同時代のフランスでも1788-1789の寒波と凶作でパン価格が急騰し、騒擾の拡大につながった点で共通している。

出典: Unknown author / Creative Commons CC BY-SA 4.0より


時間軸で見た比較

つまり、フランス革命がヨーロッパで「国民主権」や「人権」といった革新的な理念を掲げて社会を大きく揺るがしていた頃、日本はまだ江戸幕府による近世社会の枠組みの中にありました。儒学を土台とする上下関係や、武士・農民・町人といった封建的な身分制度がしっかりと機能していて、人々の暮らしは「秩序を守ること」を優先に安定を保とうとしていたんです。


この時代の日本では、西欧のように「人は皆平等だ」という考えが社会に広まっていたわけではありません。むしろ、家族や共同体の中での役割を果たすことが美徳とされ、幕府や藩が課す義務を果たすことが当然とされていました。商業や学問の発展はあったものの、それはまだ近代国家を目指す動きには直結していませんでした。


こうした背景を踏まえると、フランス革命と江戸日本はまさに「対照的な世界」にいたといえます。西欧が「個人の自由」や「市民社会」への転換期を迎えていたのに対し、日本は「共同体の秩序」や「安定した統治」を守る方向に重きを置いていたんです。だからこそ、後に幕末から明治にかけて西欧の思想や制度が一気に流入したとき、日本社会は大きな衝撃を受けることになったのです。


文明開化を象徴する銀座煉瓦街と馬車鉄道の浮世絵

文明開化を象徴する銀座通の煉瓦街と馬車鉄道
明治初期の西欧化の波を背景に、電信柱や馬車鉄道、煉瓦造の街並みが並ぶ様子を描く。フランス革命以後に広がった市民社会の理念の受容も相まって、日本の西欧化が加速した局面を切り取っている。

出典: Photo by Unknown author / Wikimedia Commons Public domainより

まとめると、フランス革命期の日本は江戸時代後期、松平定信による寛政の改革が行われていた時期です。西欧が急速に政治理念を刷新していたのに対し、日本は伝統的な体制を守りながら内向きの改革を進めており、近代への本格的な転換はまだ数十年先のことでした。