フランス革命期の財政改革とは?

フランス革命期の財政改革とは?

フランス革命期には不公平な旧税制が廃止され、地租や営業税などの新しい統一税制が導入された。徴税制度の効率化と国庫の安定化が図られ、近代的財政構造の基盤となったのである。本ページでは、フランス革命期に行われた財政改革の内容を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命では、王政の打倒だけでなく、国の財政にもメスが入れられたと聞きます。でも実際、どんな財政改革が行われたのでしょうか? 革命前のフランスは財政危機に陥っていたとされますが、その原因や、革命政府がどのようにしてその危機を乗り越えようとしたのかを知りたいです。また、その過程で導入された政策が成功だったのか、失敗だったのかも含めて教えてください。



フランス革命期の財政改革は、まさに「火事場の大手術」でした。というのも、革命前のフランスは度重なる戦争と王室の浪費で財政はすでに破綻寸前。王政が倒れたからといって、その借金や構造的な問題が一気に消えたわけではなく、革命政府は巨額の赤字を抱えたまま、まったく新しい国家の運営に挑むことになったんです。


深刻な財政危機が革命の引き金に

そもそも革命前夜のフランスは、財政状態がボロボロ。アメリカ独立戦争への支援や贅沢な宮廷生活で、国家の借金は膨れ上がっていました。ところが、課税の仕組みは不公平で、貴族や聖職者は税を免除され、庶民だけが重税を負担。税収は安定せず、財政は慢性的に赤字という状態でした。


このままでは国がもたない、という危機感の中で開かれたのが1789年の三部会で、これがそのまま革命の発火点になります。つまり、財政問題は革命の「燃料」のひとつだったんですね。


国有財産の活用とアッシニアの登場

革命政府はまず、即効性のある手段として教会の財産を没収し、それを国家のものとして活用する決定をします。これは、膨大な土地や不動産を「売って現金化」し、国家財政にあてるという作戦。


ここで生まれたのが、アッシニア(Assignat)という紙幣です。アッシニアは「将来教会の土地と引き換えに使える券」として、実質的には土地担保型の国債のような役割を果たしました。発行当初は人々の信頼を得て、物価の安定や歳入の改善に一定の効果を見せます。


ですが、財政難が続く中でどんどん増刷されてしまい、やがて価値が暴落。1790年代後半にはインフレが深刻化し、アッシニアの信用は地に落ちます。商人は紙幣の受け取りを拒み、庶民は生活必需品すら買えなくなるという事態に。


1790年のアッシニア紙幣

1790年発行のアッシニア紙幣
フランス革命後の財政改革の一環として導入された通貨。過剰発行によりインフレを引き起こし、フランス経済にさらなる混乱をもたらすこととなった。
(出典:Creative Commons Public Domainより)


制度の見直しと近代財政への一歩

アッシニアの失敗から得た教訓をもとに、革命政府やその後のナポレオン政権は、財政運営の抜本的な見直しに取り組むようになります。まずは、統一された税制を導入し、すべての国民に公平な課税がなされるように改革されます。貴族や教会にも課税が及び、国家の歳入構造が大きく変わりました。


また、会計制度の整備や、支出の透明化といった、「国の財布」をちゃんと管理する仕組みもつくられました。そして1800年にはフランス銀行(Banque de France)が設立され、政府と民間の信用をつなぐ中核的な金融機関として機能し始めます。


このように、革命期の混乱の中から、「どうやって国家の財政を安定させ、国民と信頼関係を築くか」という問いに向き合った結果、近代国家としての財政管理の基盤が生まれていったのです。


このように、フランス革命の財政改革は、危機と混乱の中で何とか打開策を探り続けた壮大な実験でもありました。


アッシニアの導入と失敗、税制の見直し、そして近代的な財政運営への模索──それらの積み重ねが、19世紀のフランスだけでなく、後のヨーロッパ各国にも影響を与える財政モデルを築いていきました。


国家が何にお金を使い、どうやって集めるか──革命はその根本を問い直すきっかけになったのです。