国民公会と国民議会の違いとは?

国民公会と国民議会の違いとは?

国民議会は立憲君主制下の改革を目指した議会であり、国民公会は王政廃止後の共和政を担う最高機関だった。政治体制の変化に応じて権限と目的が異なり、それが急進化と恐怖政治につながったのである。本ページでは、フランス革命の議会権限や政体の移行を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命の中で出てくる「国民議会」と「国民公会」って、名前がすごく似ているのに、まったく同じものではないみたいですね。どちらも民衆の代表が集まる議会というイメージはあるんですが、具体的に何が違うのでしょうか? 特に国王ルイ16世の裁判が国民公会で行われたと聞いて、どうしてそうなったのか、その背景も含めて教えてほしいです。



「国民議会」と「国民公会」は、どちらもフランス革命の中で設置された国民の代表機関ですが、活動していた時期も性格も大きく異なります。簡単に言えば、国民議会は革命の始まりをつくった議会であり、国民公会は王政の終わりを決定づけた議会です。


この違いをたどることで、革命がどれほど深く、急激に展開していったのかがよくわかるんです。


国民議会 国民公会
設立時期 1789年 1792年
構成 第三身分の代表者が中心 普通選挙により選出された代表者
代表性 主に第三身分の代表 全国民を代表する議員
目的 身分制度の廃止、立憲制度の確立 共和制の確立、革命政府の運営
影響力 立憲君主制の導入に向けた改革 激しい革命政策の実行、テロ政治へ


国民議会は「立憲君主制」を目指した

「国民議会」は、1789年6月に第三身分の代表たちが三部会から離脱して自ら結成したもので、「国民こそが主権者である」という立場から新しい政治の形を模索しました。テニスコートの誓いに始まり、1789年の人権宣言の採択、1791年の憲法制定へと続き、国民議会は王政そのものをただちに否定したわけではありませんでした。


彼らが目指したのは、あくまで王の権力を制限し、国王と国民が共に政治を行う「立憲君主制」というスタイルだったんですね。しかし、王族の亡命未遂や民衆の不信感、戦争の拡大などにより、このバランスは次第に崩れていきます。


国民公会は「王政を終わらせた」議会だった

そして1792年、新たに誕生したのが「国民公会(Convention nationale)」です。これはフランスが共和制に移行する決定的なきっかけとなった議会で、全男性市民による普通選挙で代表が選ばれたという点でも、より民意を直接反映した存在でした。


国民公会は、王政の廃止を宣言し、ルイ16世を「フランス国民に対する反逆者」として裁判にかけ、ついには死刑判決を言い渡しました。この裁判の舞台となったのが、国民公会の議場だったのです。


Examination of Louis XVI in the National Convention

国民公会の議場・屋内馬術練習場におけるルイ16世の裁判の様子を描いた絵画
(出典:Creative Commons Public Domainより)


両者の違いは「政治のゴール」に表れている

国民議会と国民公会の違いを一言でまとめるなら、「目指す政治体制が違った」という点に尽きます。


国民議会が目指したのは「国王を残しつつ、民衆の声を反映させる」立憲君主制。対して国民公会は、「国王そのものを廃止して、共和制へ進む」ことを決断したのです。しかも、その過程で王の裁判と処刑という極めて重大な決定まで下したことから、国民公会はより急進的・革命的な議会だったといえるでしょう。


このように、似た名前の二つの議会も、フランス革命の中で果たした役割はまったく異なり、それぞれが歴史を動かす大きな分岐点となったのです。