
フランス革命で採用されたっていう「三権分立」ってどういう仕組みなの?モンテスキューの思想が革命にどんな影響を与えたのか教えて!
三権分立論は、フランス革命(1789–1799)の政治改革に大きな影響を与えた重要な思想です。この理論は、18世紀の啓蒙思想家モンテスキュー(1689–1755)が著書『法の精神』で提唱したもので、権力を立法・行政・司法の3つに分け、それぞれ独立して運営することで権力の集中を防ぐ仕組みを指します。この思想は、絶対王政の終焉を目指すフランス革命において理論的な基盤となりました。
モンテスキューの肖像
「法の精神」で知られる哲学者で、権力の濫用を防ぐ目的の「三権分立論」はフランス革命へ影響を与えた。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
フランス革命では、絶対王政による権力の独占が人々の不満を高めていました。そのため、権力を分散させ、国民の意思を反映させる新しい政治体制が求められました。三権分立論は、この目的に合致し、特に1791年に制定されたフランス憲法で具体化されました。この憲法では、国民議会が立法権、国王が行政権、裁判所が司法権を分担する仕組みが定められ、権力のバランスを確保しようとしたのです。
しかし、この体制は完全には機能しませんでした。立憲君主制では、国王ルイ16世が行政権を握っていましたが、革命の進展に伴い、国王と議会の対立が深まりました。この結果、1792年には王政が廃止され、第一共和政が成立しましたが、混乱が続き、恐怖政治期には三権分立が形骸化し、ジャコバン派が権力を独占する事態となりました。
三権分立論は、フランス革命で新しい政治の枠組みを示したものの、当時の混乱の中で完全に実現することは困難でした。それでも、この思想が示した権力分散の原則は、後の民主主義国家の基盤となり、現在でも多くの国で採用されている重要な理念です。