フランス革命とピューリタン革命の違いと共通点

フランス革命とピューリタン革命の違いと共通点

フランス革命は絶対王政と身分制度を廃し近代市民社会を築くことを目的としたが、ピューリタン革命は17世紀イングランドで国王の権限を制限し議会政治を確立する闘いだった。両者は宗教や政治の自由を求める動きと武力衝突を伴った点で共通する。だが宗教的要素の強さや社会階層の構造には大きな違いがあった。本ページでは、フランス革命期の政治理念とイギリス内戦の性質を理解する上で重要なこのテーマについて、さらに詳しく掘り下げ解説していく。

フランス革命って18世紀のフランスで王様を倒した革命ですよね?でもピューリタン革命って、もっと前の17世紀のイギリスで起きた王様と議会の戦いだって聞きました。同じ「革命」って名前なのに、時代も国も違うし、目的ややったことも全然違うみたいで…具体的にどこが違って、どんな共通点があるのか、わかりやすく教えてもらえますか?



フランス革命(1789年~1799年)とピューリタン革命(1642年~1649年)は、いずれも権力構造を揺さぶった大事件ですが、成り立ちや進め方、到達点には明確な違いがあります。前者は絶対王政を倒し国民主権の近代国家を築く社会変革、後者は国王と議会の権力争いを軸とした政治・宗教闘争でした。


両革命の違い

時代背景の違い

ピューリタン革命の背景は、スチュアート朝イングランドにおける王権神授説と議会権限をめぐる対立、そして国教会とピューリタンの宗教対立でした。17世紀のイギリスでは経済的にも新興商工業層が力をつけ、議会を通して発言力を強めようとしていました。
フランス革命では、18世紀末の深刻な財政危機と、パンの値上げなど庶民の生活苦が引き金に。啓蒙思想の広がりと旧来の身分制度への不満が重なり、全土で王政廃止と平等を求める運動へと発展します。


After the Battle of Naseby, 1645

ナズビーの戦い後/1645年
1645年、清教徒革命(英国内戦)中のナズビーの戦い後の場面を描いた絵画。戦いの後の疲労と衝撃が兵士たちの表情から感じられる。
(出典:Creative Commons Public Domainより)


目的と手段の違い

ピューリタン革命の目的は、議会の優位を確立し宗教の自由を拡大することでした。武力衝突(イングランド内戦)が中心で、王党派と議会派の戦いの末、国王チャールズ1世を処刑し共和政(クロムウェル政権)を樹立します。
フランス革命は、封建制廃止や人権宣言採択など制度面の大改革を伴い、共和政を宣言。民衆蜂起や地方反乱、国外との戦争も絡み、社会構造全体を作り替えようとしました。


両革命の共通点

どちらも王権の制限・廃止を通じて新しい政治の形を模索した点は共通です。ピューリタン革命は議会制の基盤を、フランス革命は国民主権の原則を、それぞれ後世に残しました。さらに両者とも国外への影響が大きく、イギリスの立憲政治モデルやフランスの「自由・平等・博愛」の理念は、他国の政治改革や民主化運動を刺激しました。
ただし、ピューリタン革命は短期間で王政復古に至り、理念の完全定着には至らなかったのに対し、フランス革命は波乱の中でも近代民主主義の方向性を決定づけたという違いがあります。


このように、ピューリタン革命は議会制確立のための「政治闘争色の強い革命」、フランス革命は制度と価値観を一新した「社会変革型革命」だったといえます。いずれもその後のヨーロッパ政治の流れを大きく変える転機となったのです。


特徴 ピューリタン革命(英国内戦) フランス革命
時期 1642年 - 1651年 1789年 - 1799年
主な原因 国王チャールズIの専制政治と宗教政策への不満 社会的・経済的不平等、啓蒙思想の影響
主な影響 共和政の試みと王政復古 王政廃止と共和制の導入
重要な戦闘 ナズビーの戦い、プレストンの戦い バスティーユ監獄の襲撃、トゥーロンの攻防
重要な人物 オリバー・クロムウェル、チャールズI ロベスピエール、ナポレオン・ボナパルト