なぜフランス革命で「理性崇拝」が推進された?

フランス革命期の思想・哲学に関する一問一答

「なぜフランス革命で『理性崇拝』が推進されたの?」という問いに対する回答になります。宗教批判や啓蒙思想の影響、革命政府の政策を通じて、理性崇拝が広まった背景を詳しく解説します!

なぜフランス革命で「理性崇拝」が推進された?

フランス革命で「理性崇拝」という考えが推進されたのはなぜなの?宗教を否定する流れと関係しているって本当?

理性崇拝がフランス革命で推進された理由は、啓蒙思想と旧体制(アンシャン・レジーム)への批判、さらにカトリック教会の影響力を排除する動きと深く結びついています。この思想は、伝統的な宗教ではなく、人間の理性や科学、知識を新しい価値観の中心に据えるものでした。

 

フランス革命期、旧体制と結びついていたカトリック教会は、特権階級を支える存在として多くの批判を浴びていました。教会は土地を多く所有し、税金を免除される特権を持っていたため、第三身分を中心に不満が高まっていたのです。このような背景の中で、宗教を政治と切り離し、新たな価値観を求める動きが始まりました。

 

また、啓蒙思想が広まり、「人間の理性が社会を改善する」という信念が革命家たちの間で強く支持されました。この考え方を象徴するのが、1793年にロベスピエールらが主導した「理性の祭典」です。このイベントでは、パリのノートルダム大聖堂が「理性の神殿」として改装され、カトリックの儀式に代わって理性を称えるセレモニーが行われました。

 

さらに、理性崇拝はジャコバン派の政策として進められ、革命政府がカトリック教会の影響を排除し、新しい社会秩序を作り上げる手段として利用されました。教会の財産は没収され、聖職者は国家公務員として再編されましたが、これらの政策は理性崇拝の推進とも密接に関係しています。

 

理性崇拝は、カトリック教会の影響力を排除し、新しい社会秩序を築くための手段としてフランス革命の中で生まれた重要な動きだったのです。この流れは、革命の理念を理解する上で欠かせない要素と言えますね。

 

Fête de la Raison 1793

『理性の祭典』/1793年
フランス革命期に行われた理性崇拝運動の一環として開催された祭典。1793年のパリで行われた「理性の祭典」の様子を捉えている。
(出典:Creative Commons Public Domainより)