フランス革命期に恐怖政治を行ったのは誰?

フランス革命関係者に関する一問一答

「フランス革命期に恐怖政治を行ったのは誰?」という問いに対する回答になります。ロベスピエールやジャコバン派を中心に、恐怖政治を主導した人物とその背景を詳しく解説します!

フランス革命期に恐怖政治を行ったのは誰?

フランス革命の「恐怖政治」って、誰が中心になって行ったの?どんな理由でそんなことをしたのか教えて!

恐怖政治は、フランス革命(1789–1799)の中で1793年から1794年にかけて行われた、反革命勢力を抑え込むための急進的な政策のことを指します。この時期の中心人物が、ジャコバン派のリーダーであったマクシミリアン・ロベスピエール(1758–1794)です。彼とその支持者たちは、革命を守るためには「恐怖」を用いる必要があると信じていました。

 

Maximilien Robespierre

マクシミリアン・ロベスピエールの肖像
フランス革命期のジャコバン派リーダー、マクシミリアン・ロベスピエールを描いた肖像画。恐怖政治を推進し、多くの人々をギロチンに送ったことで知られている。
(出典: Creative Commons CC0 1.0より)

 

ロベスピエールが主導した恐怖政治の背景には、フランス国内外の混乱があります。国内では、王党派やジロンド派などの反革命派が抵抗を続け、地方ではヴァンデー反乱のような内戦が勃発していました。また、フランスはオーストリアやプロイセンなどの外国勢力との戦争(フランス革命戦争)にも直面しており、革命政府は崩壊の危機に立たされていました。こうした状況下で、ロベスピエールとジャコバン派は、あらゆる反対勢力を徹底的に排除することを決定したのです。

 

具体的には、公安委員会が設立され、ロベスピエールを含むメンバーが非常時の独裁的な権限を握りました。この組織は裁判所を通じて大量の処刑を行い、反革命分子やジャコバン派内の対立者も容赦なくギロチン台に送られました。その中には、元ジャコバン派の指導者であったダントン(1759–1794)や、革命の熱狂的な支持者だったエベール(1757–1794)も含まれています。

 

しかし、恐怖政治は国民の支持を失い、1794年7月のテルミドールのクーデターでロベスピエール自身が逮捕・処刑されることで幕を閉じます。この出来事をもって恐怖政治は終焉を迎えました。

 

フランス革命期の恐怖政治を主導したのは、ロベスピエールを中心としたジャコバン派でしたが、その急進的な政策は最終的に自らを滅ぼす結果となったのです。この時期は、革命の理想と現実が衝突する象徴的な出来事といえるでしょう。