フランス革命と政治・国家体制

フランス革命と政治・国家体制

このカテゴリーではフランス革命における政治体制の変化と国家との関係について解説しています。革命前、革命期、そして革命終焉後の体制の特徴や意義を詳しく探っていきましょう。

フランス革命前後でフランスの政治・国家体制はどう変わったの?

フランス革命は、国家と政治体制を大きく変革させた歴史的事件です。その影響は、国王を頂点とした絶対王政から市民が主権を持つ国家への転換に及びます。ですが、そこに至る過程は一筋縄ではいきませんでした。さまざまな理念や勢力がせめぎ合い、混乱を極めた革命の中、政治と国家のあり方はどのように変化していったのか。以下で、フランス革命が政治体制や国家に与えた影響を詳しく見ていきます。

 

 

政治体制と国家の関係

フランス革命を語る上で、政治体制の変化は国家そのものの再編成と深く結びついています。 革命以前のフランスは絶対王政を基盤として国家を構築していましたが、これが革命によって劇的に変化しました。

 

国家の在り方が変わった最大の要因は「市民の主権」の確立です。国王を中心とした支配体制から、人民が自らの意志を政治に反映させる国家への変革が進みました。この新しい国家像は、民主主義や人権思想の普及により、近代国家の礎を築いたといえます。

 

なお、フランス革命の理想は全世界的に影響を及ぼし、各地で独立運動や民主化運動の契機となりました。

 

政治体制の変化

革命前

革命以前のフランスは、ルイ16世(1754 - 1793)の下で絶対王政が敷かれていました。この体制では、国王が全ての権力を掌握しており、財政、軍事、法律制定までもが宮廷の意志に基づいていました。

 

しかし、この体制には多くの矛盾が存在しました。特に、第三身分(平民)が重い税負担を強いられる一方、聖職者や貴族が特権を享受していたことが反感を呼び、革命の端緒となったのです。

 

第三身分 1789

第三身分、1789年
フランス革命前の第三身分と特権身分の格差を風刺したイラスト
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

革命期

フランス革命期には、政治体制が急激に変化しました。最初に生じたのは立憲君主制です。国王の権限を制限し、国民議会が新しい政治の中心となるべく憲法が制定されました(1791年憲法)。

 

その後、1792年には王政が廃止され、第一共和政が成立します。国民公会が主導権を握り、「人間と市民の権利の宣言」に象徴されるような平等と自由の理念が国家の指針となりました。

 

ですが、内部では反発や権力闘争が絶えず、1793年から始まる恐怖政治の時代では、民主主義とは程遠い粛清の嵐が吹き荒れたのです。

 

Examination of Louis XVI in the National Convention

国民公会におけるルイ16世の裁判
国民公会の議場・屋内馬術練習場におけるルイ16世の裁判の様子を描いた絵画
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

革命終焉後

革命の終焉を告げたのは総裁政府の設立(1795年)とナポレオン・ボナパルトの台頭です。総裁政府は安定を模索しましたが、腐敗や無策が目立ちました。

 

1799年にはナポレオンがクーデターを起こし、統領政府を樹立。これにより、フランスは共和政から事実上の軍事独裁政権へ移行しました(ブリュメール18日のクーデター)。ナポレオンは1804年に皇帝に即位し、革命で生まれた平等の理念を踏まえつつも、専制的な支配を進めていきます。

 

こうしてフランス革命は、政治的混乱を経ながらも近代国家への道を切り開いたのです。

 

Coup of 18 Brumaire

ブリュメール18日のクーデター
1799年11月9日にナポレオン・ボナパルトがフランスの政治権力を掌握した事件。セントクラウド宮での緊張した瞬間を描く。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

以上、フランス革命と政治・国家体制についての解説でした!

 

ざっくりと振り返れば

 

  • 革命前は絶対王政が国家の基盤だった
  • 革命期には立憲君主制と共和制を経て大きな混乱を経験した
  • 革命後はナポレオンの登場により専制的な統治が進行した

 

・・・という具合にまとめられるでしょう。

 

ようは「フランス革命は政治体制を一新し、近代国家への礎を築いた大変革だった。」という点を抑えておきましょう!以下でフランス革命期の政治に関する一問一答をまとめていますので、さらに詳しく知りたいという方は参考にしてみてください。