
フランス革命は、政治や社会の仕組みだけじゃなくて、経済や財政のあり方にも大きなメスを入れた出来事でした。
革命の前――つまりアンシャン・レジームの時代には、税金の負担がめちゃくちゃ偏っていて、平民(第三身分)が重くのしかかる税を支えていた一方で、貴族や聖職者は特権でほとんど免除されていたんです。しかも国の財政は赤字だらけで、いつ破綻してもおかしくない状態でした。
こうした問題を根本から正そうとしたのが、革命の経済改革。公平な税制度を目指したり、教会の財産を接収して国家財政にあてたりと、さまざまな改革が行われました。
でも、理想どおりにいくことばかりじゃありません。国内外の混乱にくわえて、物価の高騰や通貨の信用不安など、現実はとっても厳しかったんです。
ここからは、革命前と革命期を通じて、経済と財政がどう変化していったのかをたどりながら、その成果とともに浮かび上がる課題にも目を向けてみましょう。
革命前のフランスでは、税金の仕組みがものすごく不公平でした。
第一身分の聖職者と第二身分の貴族たちは、なんと免税特権があって、ほとんど税金を払わずに済んでいたんです。
そのぶん、税負担のほとんどは第三身分――つまり、農民や商人、職人、都市の労働者など、普通の人たちに集中。暮らしがどんどん苦しくなっていくなかで、「なんで自分たちばっかり…」という不満がふくらんでいきました。
この身分による格差が、フランス革命の怒りの導火線になったことは間違いありません。税の不平等こそが、社会の底から噴き上がった変革のエネルギーを生み出したんですね。
三身分
税負担を初めとする不平等な社会構造を風刺した絵画。快適に座る貴族と聖職者(第一身分と第二身分)と、その下で労働を背負う第三身分が描かれている。。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
フランスの経済って、当時はほとんど農業に頼っていたんです。ところが、その農業が天気にすごく左右されるうえ、人口もどんどん増えていたので、食糧不足がたびたび起きていました。
中でも大きな打撃だったのが、1788年から1789年にかけての飢饉。このときは天候不順が続いて収穫が大きく落ち込み、パンの値段が一気に跳ね上がってしまったんです。
パンは当時の庶民にとって主食中の主食。「パンが買えない」ってことは、つまり「今日のごはんがない」っていう切実な問題だったんですね。こうした状況は民衆の怒りをどんどん膨らませて、革命への空気に火をつけることになったんです。
ヴェルサイユ行進/1789年10月5日
パリの市場の女性たちが「パン」を求めてヴェルサイユ宮殿へと進行し、ルイ16世をパリへと連れ戻すことを要求した事件を描いた絵画
(出典:Creative Commons Public Domainより)
ルイ16世(1754〜1793)の時代、フランスの財政はもうボロボロでした。
その大きな原因のひとつが、アメリカ独立戦争への介入。イギリスに対抗するために大量の資金をつぎ込んだことで、財政の赤字はどんどんふくらんでいきます。
さらに、王宮での豪華な生活や贅沢な支出も重なって、国の台所事情は完全に火の車。
そんな状況のなかで、ネッケル(1732〜1804)ら有能な財務総監たちが改革を試みたんですが、既得権益の壁にぶつかって、なかなかうまくいかなかったんです。
そして最終的に、ルイ16世は三部会の招集という苦肉の策に踏み切ることになります。
でも、時すでに遅し。これらの経済問題に対して本格的な手が打てなかったことで、ついに民衆の不満が爆発し、財政危機が革命の引き金となったんです。
経済のゆがみが社会全体を揺さぶり、やがて政治体制そのものを変えてしまうほどの大きなうねりへとつながっていきました。
お金の問題は、時に歴史そのものを動かす力になるんですね。
ジャック・ネッケルの肖像
ジョゼフ=セフォラン・デュプレシによる肖像画。フランスの財務大臣として経済危機に対処した。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
1789年8月4日に決議された「封建的特権の廃止」は、革命初期の中でもとくに象徴的な改革でした。
この日、国民議会は農民たちが長いあいだ領主に支払っていた年貢や労役といった義務を正式に廃止すると宣言したんです。
これによって、農民は「もう領主のために働かなくていい」「自分の土地を自分の判断で使っていい」という自由を手に入れました。まさに、封建制度にピリオドが打たれた瞬間でした。
ただし――この改革には落とし穴もありました。たしかに義務は消えたけど、土地の分配そのものが平等になったわけではなかったんです。大土地所有者やブルジョワ層が多くの土地を持ち続けたままで、農民全体が豊かになったわけではなかったんですね。
つまり、形式的な自由は得られたけれど、現実の土地の格差はすぐには解消されなかったというのが、この改革のもう一つの側面だったんです。
革命政府が直面していた財政赤字の解決策として登場したのが、アッシニア紙幣でした。
これは、革命によって没収された教会の土地を担保にして発行された紙幣で、「この紙幣を使えば、土地の購入にも使えるし、国の借金返済にも役立つ!」という理屈だったんですね。
最初のうちはそれなりに信用されて流通していたんですが、やがて政府は足りない財源を埋めるためにアッシニアを刷りすぎてしまいます。
その結果、紙幣の価値は暴落、物価はうなぎのぼり。日用品の値段がどんどん上がって、庶民の暮らしはますます厳しくなっていきました。
このインフレーションによる生活苦は、民衆の怒りに火をつけ、さらなる不安定要素となって革命期の社会に影を落とすことになります。
「改革のための政策」が、かえって人々を苦しめてしまう――そんなジレンマが、このアッシニア紙幣には詰まっていたんです。
1790年発行のアッシニア紙幣
フランス革命後の財政改革の一環として導入された通貨。過剰発行によりインフレを引き起こし、フランス経済にさらなる混乱をもたらすこととなった。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
革命が進むにつれて、フランスは周辺国との対外戦争にどっぷり巻き込まれていきます。
そんななか、戦争を続けるにはどうしてもお金と物資が必要。そこで、政府は経済政策の中心を「戦争優先モード」に切り替えていくんです。
まずは徴税制度の見直し。財政を支えるために、より効率的で安定した税の徴収が求められました。
さらに、全国から食料や武器、服などを集める物資動員体制も整えられて、都市と農村のあいだでの物流が強化されていきました。
でも、このしくみには副作用もありました。農村の人たちにとっては、「せっかく育てた作物がどんどん都市に持っていかれる」「そのわりに見返りがない」といった不満がたまり、都市と農村の対立を深める結果にもつながってしまったんです。
戦争を支えるための政策が、国内の分断を生む――そんな矛盾を抱えながら、革命政府はぎりぎりのバランスで国家運営を続けていたんですね。
革命期に行われた経済政策は、たしかに封建的な特権を打ち破り、「身分による格差をなくすぞ!」という点では大きな前進でした。
農民が年貢や労役から解放されたり、ギルドが廃止されて職業の自由が広がったりと、制度の面では近代化が進んだんです。
でもその一方で、アッシニア紙幣の乱発によるインフレーションや、戦時下の物資不足といった混乱も深刻でした。物価は跳ね上がり、庶民の生活はどんどん苦しくなっていきます。
こうした経済の不安定さは、革命が終わったあともすぐには解消されず、社会のあちこちに不満や不信感を残すことになりました。
つまり、制度を変えることはできても、人々の暮らしを安定させるにはまだまだ時間がかかった――それが革命期の経済改革の難しさだったんです。
ヴァンデー反乱
革命政権の徴税制度に対する農村部の強い不満が爆発して起こった反乱。大勢の農民が虐殺される形で鎮圧された。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
以上、フランス革命と経済・財政についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「フランス革命は経済的な混乱を伴いながらも、近代的な経済基盤を築いた大転換期だった。」という点を抑えておきましょう!以下でフランス革命期の経済に関する一問一答をまとめていますので、さらに詳しく知りたいという方は参考にしてみてください。
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