
フランス革命は、18世紀末のヨーロッパで起きた最大級の政治と社会の大変動でした。王様中心の古い体制を壊して、「もっと自由に、もっと平等に」という理想を掲げた、新しい社会づくりが始まったんです。
もちろん、そこには希望だけじゃなくて、混乱や衝突、そして数々の困難な改革もセットでついてきました。でもそのぶん、この時代にはっきりと「世の中を変えよう」という強い意志が動いていたんです。
ではここからは、そんなフランス革命の流れを「時代区分」と「年表」にそって見ていきましょう。どんな順番で、どんな出来事が起きていったのか、整理しながら追っていきます。
年 | 出来事 | 解説 |
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1789年 | フランス革命の勃発 | 国民議会が設立され、「バスティーユ襲撃」により革命が本格化。 |
1791年 | 憲法制定 | 立憲君主制を規定した1791年憲法が成立。 |
1792年 | 王政廃止 | 国民公会が設立され、フランス共和国が宣言される。 |
1793年 | ルイ16世処刑 | 国王が反逆罪で処刑され、革命が急進化。 |
1793年 | 恐怖政治の開始 | ロベスピエール主導で反革命派を厳しく弾圧。 |
1794年 | ロベスピエール失脚 | テルミドールの反動でロベスピエールが逮捕・処刑される。 |
1795年 | 総裁政府の設立 | 新憲法のもとで5人の総裁による政府が成立。 |
1799年 | ナポレオンのクーデター | ブリュメール18日のクーデターによりナポレオンが権力を掌握。 |
フランス革命って、ひとつの大きな出来事に見えるけれど、実はいくつかの時代区分に分けて考えることができるんです。その時々で、権力を握る勢力が入れ替わったり、目指す方向がガラッと変わったりして、まるで物語が何章にも分かれているような感じなんですね。
それぞれの時期には、その時代ならではの葛藤や意義がありました。ここからは、その変化の流れと、それぞれの時代がどんな意味を持っていたのかを、順を追って見ていきましょう。
この時期は、長く続いてきたアンシャン・レジームがゆっくりと崩れ始めた、いわば「嵐の前の静けさ」のような時期でした。1787年になると、国家の財政はすでにボロボロで、ルイ16世(1754─1793)はついに130年ぶりに三部会を開く決断をします。
ところが、ここで貴族や聖職者と、第三身分との間で対立が一気に表面化。話し合いどころか、溝がどんどん深まっていってしまいます。この緊張が高まる中で、やがて国民議会の結成やバスティーユ襲撃といった歴史的事件へとつながっていくんです。
つまりこの「革命前夜」は、フランス革命の導火線に火がついた、決定的なスタートラインだったんですね。
1789年ヴェルサイユで開かれた三部会の開会式
1789年5月5日にヴェルサイユ宮殿で行われた三部会の開会式を描いた絵画。この集会はフランス革命の発火点となり、国の重要な政治的転換点を象徴している。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
1789年のバスティーユ襲撃をきっかけに、フランス革命はいよいよ本格的に動き出します。民衆の力が政治を揺さぶるようになり、国民議会では人権宣言が採択され、封建的な特権も次々と廃止されていきました。
そして革命の流れはさらに進み、1791年にはフランス初となる憲法がつくられます。この憲法によって、国王の権力は大きく制限され、立憲君主制という新しい政治のかたちが始まったんです。
この時期は、まさに「国のしくみを変えるぞ」という理想と熱気に満ちあふれていたフェーズでした。
バスティーユ襲撃
フランス革命の始まりを象徴する「バスティーユ牢獄襲撃事件」を描いた絵画
(出典:Creative Commons Public Domainより)
1792年、ついにフランスは王政を廃止し、新しく第一共和政がスタートします。これで、国民が主権を持つ本格的な政治体制への一歩を踏み出したんです。
同じ年には、フランスは周辺の君主国と戦争を始め、「革命の理念を外へ広めよう!」という動きも活発になります。そして翌1793年には、あのルイ16世が処刑され、革命の流れは一気に過激になっていきました。
この時期は、新しい国家のかたちを模索する一方で、内外ともに緊張が高まり、フランス社会が大きく揺れ動いた激動の時代だったんです。
ルイ16世の処刑
1793年、フランス革命中のパリ、ラ・コンコルド広場で行われたルイ16世のギロチンによる処刑を描いた絵画。絶対王政の終焉を告げる象徴的な出来事。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
この時期、フランスの政治はロベスピエール(1758─1794)率いるジャコバン派によって一気に引き締められます。国内外に敵が多かった中で、「革命を守るためには厳しい手段もやむなし」という考えのもと、恐怖政治が始まったんです。
ちょっとでも反対のそぶりを見せれば、「反革命派」とされてギロチンにかけられることもあり、街の空気は常にピリピリ。多くの市民が命を落とす、つらい時代でした。
でもその一方で、教育や福祉、平等の推進など、革命の理念を実現しようとする取り組みも行われていたんです。この時期は、理想と現実の板挟みの中で、フランスがなんとか前に進もうともがいていた時代でした。
マクシミリアン・ロベスピエール(1758–1794)
フランス革命期のジャコバン派リーダー、マクシミリアン・ロベスピエールを描いた肖像画。恐怖政治を推進し、多くの人々をギロチンに送ったことで知られている。
(出典: Creative Commons CC0 1.0より)
恐怖政治が終わったあと、フランスではようやく落ち着きを取り戻そうとする動きが出てきます。そこで生まれたのが、穏健派による総裁政府という新しい体制でした。
けれども、この時期は理想よりも現実のやりくりが中心になり、革命の熱気はどこか薄れがちに。政治は不安定で、経済も混乱が続き、人々の不満がくすぶりつづけていたんです。
そんな中で、登場したのがナポレオン・ボナパルト(1769─1821)。1799年、彼がクーデターを起こして総裁政府は幕を閉じ、フランス革命はひとつの終着点を迎えることになります。この時期は、まさに革命から次の時代への橋渡しとなる過渡期だったんです。
総裁政府の総裁
左からメルラン・ド・ドゥーエー、ラ・ルヴェリエール=レポー、バラス、フランソワ・ド・ヌフシャトー、ジャン=フランソワ・ルーベル
(出典:Creative Commons Public Domainより)
フランス革命が終結を迎えたあと、フランスは新たな時代へと大きく舵を切ります。その中心に立ったのが、若き将軍ナポレオン・ボナパルト。1799年のブリュメール18日のクーデターで権力を掌握し、まずは統領政府を設立。その後、自ら皇帝に即位することで、フランスは再び強い中央集権体制へと向かっていきます。
とはいえ、ナポレオンの支配は単なる独裁ではなく、革命で掲げられた「法の下の平等」や「功績による登用」などの理念を受け継ぎ、ナポレオン法典として制度化しました。この法典はのちのヨーロッパ諸国にも影響を与え、近代的な法治国家のモデルともなったんです。
ナポレオンの時代を通じて、革命の精神はヨーロッパ全体に広がり、各地で民主化や市民権拡大の動きが加速していきました。フランス革命は、たとえ直接的には終わっても、その影響力は長く、そして広く残り続けたんですね。
ナポレオンの戴冠式/ジャック=ルイ・ダヴィッド作
ナポレオン自身が教皇から冠を奪ってかぶることで独裁的権威を誇示した
(出典:Creative Commons Public Domainより)
以上、フランス革命の時代区分と年表についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「フランス革命は多段階にわたる変化を経て、近代社会の基盤を築いた出来事。」という点を抑えておきましょう!以下でフランス革命に関する一問一答をまとめていますので、さらに詳しく知りたいという方は参考にしてみてください。
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