
フランス革命は国内だけでなく、周辺諸国にも大きな影響を及ぼしました。革命思想の波及に恐怖した諸国は、革命政権に対抗する動きを見せる一方で、自国内の安定を模索する必要に迫られました。とりわけ君主制を維持していた国々にとって、フランス革命は自国の政治体制を揺るがす脅威であり、干渉や同盟形成の要因となったのです。以下で、周辺諸国の動きとその背景、さらにフランスとの相互作用を紐解いていきます。
フランス革命に対する干渉の理由は多岐にわたりますが、主要なものは以下の通りです。まず第一に革命思想の波及です。君主制を採用していた諸国は、革命が自国にも広がり、王政を崩壊させるのではないかという恐怖を抱いていました。第二に、革命政府が周辺国に宣戦布告するなど、フランスが積極的な外交・軍事行動を取ったことが周辺諸国を動かしました。さらに、ルイ16世(1754 - 1793)やマリー・アントワネット(1755 - 1793)の処刑など、君主制を否定する象徴的な出来事が諸国の反発を招いたのです。
イギリスはフランス革命を強く警戒し、特にブルジョワ階級の力を高める動きに注目していました。ピット首相の下で反フランス同盟を形成し、革命戦争の一環としてフランスを牽制しました。経済封鎖や海上戦術を駆使し、ヨーロッパの反フランス陣営を先導したのがイギリスだったのです。
エドマンド・バークの肖像
著書『フランス革命の省察』で革命の理想と現実の間の矛盾を鋭く指摘した。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
オーストリアは、フランス革命初期からフランスと緊張関係にありました。オーストリア皇帝(神聖ローマ皇帝)はマリー・アントワネットの兄であることもあり、フランス王室との血縁関係が干渉の要因となりました。また、オーストリアはプロイセンと共に第一次対仏大同盟を結成し、革命政府に対抗しました。
神聖ローマ皇帝レオポルト2世の肖像、アントン・ヒッケル作
ヴァレンヌ逃亡事件を受け、妹であるマリーアントワネット王妃の身を案じピルニッツ宣言を出すも、それが革命戦争の原因になった。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
プロイセンはオーストリアと協力し、反革命の主導的役割を果たしました。革命軍との衝突では、1792年のヴァルミーの戦いが象徴的です。この戦いで革命軍に敗北したことにより、フランス革命の軍事的優位が明確化しました。プロイセンの軍事力は強力でしたが、内政上の問題もあり、長期的な影響を与えることはできませんでした。
ヴァルミーの戦い、1792年9月20日
フランス革命軍がオーストリア・プロイセン同盟軍を破った戦い。外国の干渉を退けることに成功した象徴的な勝利であり、フランス国内での革命政府の正当性を大いに高めた。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
ロシアは当初フランス革命に慎重な姿勢を取りましたが、次第に反革命の立場を明確にしました。特にエカチェリーナ2世(1729 - 1796)は革命思想が国内の農奴制を脅かすことを懸念し、フランス革命を批判しました。さらに、ロシアは後のナポレオン戦争期においてもフランスとの対立を深めていきます。
ロシア皇帝エカチェリーナ2世
ジョージ・クリストフ・グロートによる肖像画。革命思想がヨーロッパ全体の王政に対する脅威であると考え、フランス革命を非難した。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
スペインはカトリックの影響力が強い国であり、フランス革命による宗教的変化を脅威とみなしました。また、王政の維持を目的として、反フランス連合に参加し、軍事的干渉を行いました。しかし、ナポレオン時代には逆にフランスの占領下に置かれ、内政が大きく揺らぐ結果となりました。
ブールーの戦い、1794年
ピレネー戦争中にフランス革命軍がスペイン軍を破った重要な戦闘。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
周辺諸国の干渉はフランス国内の政治的緊張を激化させました。革命政府は国内の反対勢力を弾圧し、恐怖政治を展開しました。内外の敵を抱えた状況が、急進的な政治体制の形成を促したのです。
干渉に対抗して、フランス軍は急速に再編成され、ヨーロッパの軍事強国として台頭しました。特にナポレオン・ボナパルトの登場により、フランスは周辺国への反撃を開始し、領土を拡大する結果となりました。
『リヴォリの戦いでのナポレオン』
1797年、ナポレオン・ボナパルトが率いるフランス軍がリヴォリの戦い(フランス革命戦争)でオーストリア軍に対して決定的な勝利を収めた瞬間を描いた絵画。彼の名声を大いに高めた。
(出典:Creative Commons Public Domainより)
フランス革命の影響は、周辺国にも広がりました。市民革命や民主化の萌芽が見られ、革命思想が各国で新たな社会運動を生み出す契機となったのです。しかし、一方でナショナリズムの台頭や、権威主義的な体制の反動も招きました。
以上、フランス革命と周辺国の動き・干渉についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「フランス革命は周辺国の干渉を招きつつも、軍事的優位を築き、ヨーロッパ全体に影響を与えた。」という点を抑えておきましょう!以下で「外国によるフランス革命への干渉」に関する一問一答をまとめていますので、さらに詳しく知りたいという方は参考にしてみてください。