フランス革命の経緯・出来事

フランス革命の経緯・出来事

このカテゴリーでは、フランス革命の主要な出来事とその経緯を詳しく解説しています。バスティーユ襲撃や人権宣言、恐怖政治、ナポレオンの台頭といった重要なポイントを年表とともに振り返り、革命の全体像を把握していきましょう。フランス革命の激動の流れをわかりやすく整理しましたので、ぜひ最後までご覧ください。

フランス革命はどのような流れで進行し、どんな出来事があったの?

フランス革命と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは「自由」と「平等」の旗印のもと、大胆な変革を遂げた激動の時代でしょう。しかし、この革命は単に旧体制を倒すだけでなく、その過程で複雑な政治的、社会的対立が絡み合い、歴史に大きな足跡を残しました。以下で、フランス革命の主要な出来事を年代順に追いながら、その背景や影響についても掘り下げていきます。

 

 

革命前夜( - 1789年)

フランス革命のきっかけは、経済的・社会的な不満の蓄積にありました。この時代、ルイ16世の統治下で国家財政は破綻寸前。特権階級の既得権益に対する反発が急速に高まっていきました。

 

アメリカ独立戦争参戦(1778年)

アメリカ独立戦争への参戦はフランス財政を圧迫しました。自由と独立を掲げたアメリカの成功は、フランス国内でも同様の動きを促進しました。この戦争はフランス革命の間接的な原因ともいえるでしょう。

 

アメリカ独立宣言

アメリカ独立宣言、1776年7月4日/ジョン・トランブル作
アメリカの独立宣言が承認された瞬間を描いた絵画。この歴史的な出来事は人権宣言にも影響を与えた。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

首飾り事件(1785年)

マリー・アントワネットが絡んだとされるスキャンダルです。実際には彼女は無実でしたが、国民の不信感を増幅させました。この事件は王室の権威失墜の象徴とされています。

 

Diamond Necklace Marie Antoinette

マリー・アントワネットのダイヤモンドの首飾り
首飾り事件に関連するダイヤモンドの首飾りのイラスト。この首飾りは1785年の詐欺事件で中心的な役割を果たし、フランス革命における社会的不満の一因とされる。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

三部会の招集(1789年5月5日)

国家財政の危機を打開するために招集された三部会は、第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(平民)に分かれていました。しかし、第三身分の要求が無視され、対立が激化しました。

 

Opening of the Estates General at Versailles on 5th May 1789

1789年5月5日、ヴェルサイユで開かれた三部会
1839年にルイ・シャルル・オーギュスト・クーダーによって描かれたこの絵画は、フランス革命へと繋がる政治的変革の瞬間を捉えている。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

国民議会の宣言(1789年6月17日)

第三身分は、単独で国民議会の結成を宣言し、主権の所在を「国民」に置くと明確にしました。これが革命の端緒となります。

 

テニスコートの誓い(1789年6月20日)

議場を締め出された第三身分はテニスコートに集まり、憲法制定まで解散しないことを誓いました。この象徴的な出来事が、革命を不可逆的なものとしました。

 

The Tennis Court Oath by Jacques-Louis David

テニスコートの誓い/ジャック=ルイ・ダヴィッド作
1789年6月20日、フランス革命中の国民議会の議員たちが新しい憲法を制定するまで解散しないと誓った瞬間を描いた絵画。この誓いは封建的特権の廃止につながる政治的意志の表明であり、特権階級の権力を制限し、広範囲にわたる社会改革の一部となった。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

立憲君主制時代(1789年 - 1792年)

革命初期、フランスは君主制を存続させつつも、憲法による制限を導入するという道を模索しました。この時代は変革の希望に満ちた時期でもあります。

 

バスティーユ牢獄襲撃(1789年7月14日)

バスティーユ襲撃は、旧体制への民衆の怒りの象徴でした。武器や弾薬の確保を目的としたこの行動は、革命の本格的な始まりを告げる出来事でした。

 

Storming of the Bastille

バスティーユ襲撃/ジャン=ピエール・ウエル作
フランス革命の号砲となったバスティーユ牢獄襲撃事件を描いた絵画。中央には牢獄司令官を務めたド・ローネーが連行される姿が描かれている。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

人間と市民の権利の宣言(1789年8月26日)

「自由、平等、友愛」を掲げた人権宣言が採択され、普遍的な人権理念が打ち立てられました。この理念は後の政治体制の礎となりました。

 

ヴァレンヌ逃亡事件(1791年6月20日-21日)

ルイ16世が国外逃亡を図るも失敗。この事件で王室の信頼は地に落ち、共和政への機運が高まりました。

 

Varennes Flight Incident

ヴァレンヌ逃亡事件
1791年、ルイ16世とその家族が逮捕されたヴァレンヌ逃亡事件を描いた絵画。この事件はフランス革命中に王権の威信を大きく損ない、革命をさらに激化させるきっかけとなった。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

国民公会時代(1792年 - 1795年)

王政廃止後、フランスは共和政へと移行しましたが、内外の圧力が高まり、政治的混乱が続きました。

 

八月十日事件(1792年8月10日)

パリ市民がテュイルリー宮殿を襲撃。これにより王権は完全に崩壊しました。

 

Storming of the Tuileries Palace 1793

テュイルリー宮殿襲撃
1793年、八月十日事件のテュイルリー宮殿撃の様子を描いたジャック・ベルトーの絵画。この際スイス傭兵は殺到する民衆(義勇兵)から王家の防衛にあたり、大勢が犠牲になった。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

九月虐殺(1792年9月2日-6日)

外国軍の侵攻が迫る中、革命政府は反革命派を粛清。これにより数千人が命を落としました。

この虐殺は、革命の激化と恐怖政治の予兆ともいえます。

 

September Massacres 1792

1792年9月の虐殺事件
1792年9月にパリで発生した虐殺を描いた絵画。この期間中に無差別に囚人が殺害され、フランス革命の恐怖政治の一環として行われた。この作品は、選挙権を巡る政治的な緊張がどれほど激化していたかを示している。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

ルイ16世の処刑(1793年1月21日)

国民公会はルイ16世を反逆罪で裁き、処刑しました。この処刑はフランス国内外に衝撃を与えました。

 

Execution of Louis XVI

ルイ16世の処刑
1793年、フランス革命中のパリ、コンコルド広場で行われたルイ16世のギロチンによる処刑を描いた絵画。絶対王政の終焉を告げる象徴的な出来事。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

総裁政府時代(1795年 - 1799年)

恐怖政治の後、フランスは安定を求めて新たな体制を築こうとしましたが、混乱は続きました。

 

Members of the French Directory

総裁政府の総裁
左からメルラン・ド・ドゥーエー、ラ・ルヴェリエール=レポー、バラス、フランソワ・ド・ヌフシャトー、ジャン=フランソワ・ルーベル
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

1795年憲法の制定(1795年8月22日)

1795年憲法により総裁政府が発足。革命の理想と現実のギャップが顕在化しました。

 

ブリュメール18日のクーデター(1799年11月9日)

ナポレオン・ボナパルトが総裁政府を打倒し、革命は幕を下ろしました。この出来事は、フランス革命の総決算ともいえるでしょう。

 

Coup of 18 Brumaire

ブリュメール18日のクーデター
1799年11月9日にナポレオン・ボナパルトがフランスの政治権力を掌握した事件。フランス革命の終わりを象徴。
(出典:Creative Commons Public Domainより)

 

以上、フランス革命の経緯と出来事についての解説でした!

 

ざっくりと振り返れば

 

  • 革命前夜には経済危機と不満が高まった
  • 立憲君主制や共和制を経て社会の変革が進行した
  • 最終的にナポレオンが台頭し、革命は新たな時代を迎えた

 

・・・という具合にまとめられるでしょう。

 

ようは「フランス革命は旧体制から新たな秩序への転換点。」という点を抑えておきましょう!以下でフランス革命期の出来事に関する一問一答をまとめていますので、さらに詳しく知りたいという方は参考にしてみてください。